月曜日, 7月 24, 2006

バイクでまた同じコースを

23日梅雨の中、雨がやんだ時間にバイクでまたいつもの山の中の
コースをまわってきた。ちょうどほぼ一周して自宅にたどりつくと、50Km
くらいのコース。このコースを今まで何週しただろう。100は超えていると思う。

天気はさえないものの、増水した川や、山も緑が心地よく、
バイクの感覚が、また昔の自分の中の感覚を呼び戻してくれた。

いつも人休みする、峠の駐車場にはアメリカンバイクできている
おじいさんがいて、僕に話しかけたそうなのだが、なんか僕は
ボーっとしていた。何度もエンジンをかけようとしているがかからない。
それで困っているらしいので、こちらから話かけると、既にJAFを
呼んだとのこと。でもここまで走ってきて、いきなり全くかからなくなるのも
変な話だと思って、僕がみると、単にキルスイッチが動いてしまっているためだと
わかった。おじいさんのバイクは無事かかり、おじいさんは喜んでいた。

バイクにのって自分の普通の感覚がよみがえってみてようやく
ハッキリ自覚できたことがある。

仕事のことと、まだ検査結果でてないけど手術するらしいこと、
そのくらいのことでめげないように気持ちを持っているつもりが、
実はかなり、神経がまいっていること。

実は今は血が止まりにくくなる薬も飲んでいるからバイクも禁止なのだけど、
ビーチサンダルに短パンにシャツで乗ってしまった。
他人からすれば無謀なのだろうけど、バイクは僕には本当に必要なものだ。
例えたまにしか乗らなくても。たまに乗るたびに思う。
連続してのると、ありがたみが薄くしか感じられなくなるようだ。

三連休に毎日プール

一週間前のことを今頃かく。

15,16,17日と三日連続で、近所のプールに行った。
15は自分の子供二人と近所の子供二人、天気もそこそこ良くて
プールは込んでいた。子供との遊びに僕も参加して鬼ごっこや
ボール遊びをした。

16は雨なのに子供が行きたがるので、プール行ってみると
プールはやっていたが、他にもお客さんは3人くらいしかいないで、
また2時間きっちり遊んできた。

17日はさらに天気が悪かったのに朝からいったせいで
とうとうプールは僕と子供二人だけだった。
それでも楽しく遊びまくった。激しいスポーツはやめるように
医者からいわれていたけど、2時間半にもわたってかなりの
距離を泳いで、それでもなんともなく、というか気持ちよかった。
俺は本当に病気なのだろうか?

自分だけでなく、子供も水が好きなのがまた嬉しかった。

17日は途中から女の子が一人できて、その子のお父さんは
プールにはいらず、子供同士ですぐ仲良くなって遊んでいた。

その女の子は中国人で、日本語と中国語両方つかえるのだった。

子供達には寒くないように、ウェットスーツと同じ生地をつかった
特別な水着を着せておいたので、大丈夫だった。

日曜日, 7月 16, 2006

3年ごとくらいに会っている人

一週間前、自分の会社を上場させてしばらく
仕事から離れて、好きなことをやっていた人に会った。

僕は3年に一回くらい。その人に急に連絡をして、
急に会ってもらっている。

そして久しぶりにあいながら、確か3時間近く話をしただろうか。
彼のエネルギーを少しわけてもらった。

別れ際に、「心がつらいときはいつでも連絡ください」
といわれた。

彼は人徳経営ともいえるのか、結局彼の人間的魅力で
人がついてくるらしいのだけど、僕みたいに仕事上の
関係が何もない人間にも親身にそういってくれるところが
彼の凄いところだ。

結局退院してから、自分の体の心配はほとんどせずに
また、仕事の心配ばかりが堂々巡りをしてしまっている。

土曜日, 7月 15, 2006

金曜の夜

丁度一週間前に退院して、今週月から金まで十分仕事頑張れるか
わからなかったけど、なんとか(本当になんとかのりきった)
丁度今日、一つ成果をだせて、お祝いに寿司を食った。

色々あるけど、今晩くらいは、まあそれなりには頑張っている
ということにして、安らかに眠ろう。

色々あるけど。すべてが僕のせい考えてもそれで
前にすすめなくなってもなんにもならないからな。

暑くて、熱くて、問題続出で、体中から汗がたれるような
本当によく汗をかいた一週間だった。

土曜日, 7月 08, 2006

ようやく退院

15日間の検査入院を終えて昨日漸く退院した。

そのまま、新宿の会社にいって、夜までいて難問が
たまっていることを知って一段とクラクラして、そのまま
大学時代の友人達の飲み会に顔だけちょっとだして
すぐ帰ってきた。

ここまで時間かけてたくさん検査するとは入院するまで
わかってなかった。

入院中はしょうがないので、読書とテレビにばかり
時間を使っていた。

入院した病院のお医者さん達の説明や対応をみていると
この病気にとても詳しく、医学全般にもとても詳しく、
かつ丁寧に、慎重に対応してもらっているように思えて、
頼りになりそうだった。
(まあ結局は病気がよくなるかどうかなんだが)

その病院のお医者さん達は説明が一貫性があって、
何をきいてもかなり説得力のある回答をくれて、
おまけにいつも親切なので、こちらが逆に恐縮してしまった。

外出できたときに、24時間継続して心電図を図る機械(ホルター心電図)を
つけたまま、おもわず、ビールをジョッキに2杯飲んで、病院かえってそれを
正直に担当医にいったら、表情がサーと目の前で暗くなるのだけど、
「それは検査結果に影響がでるからまずいですね」というだけで
全然怒らないので、非常に恐縮してしまった。

ともかく若いお医者さん達は特に熱心に働いていて
頭が下がる思いだった。

さらに看護婦さん達も立派で、あーあこの人たちは
きちんと世の中の役に立つ仕事やっているなあ、
俺もそういうことやらなくちゃあなあと。

それだけレベルの高い大学病院のためか
同室の患者さん達は難病や重病の60代の
人達であった。

それでも僕に明るく振舞ってくれるのだけど、
見舞いにきた奥さんとついエレベーターで
話したりすると

「あれで、よく泣いているんですよ」
と、奥さんにはモロバレなのであった。

またそんな自分が大変な状態の患者さん達が

「**(私)さんはまだ若いんだから、きっとよくなって
これから頑張れるよ」

と僕が退院するときに励ましてくれて、僕はなんと
言ってあげられるのか困ってしまい。

「イヤー仕事も病気もなんとかなると思ってやるしかないですよね」

なんてどうでもいいような、言葉しか思い浮かばないのであった。

今回の入院では退屈なときに特に、自分の21年と9ヶ月前の
長い入院生活を思い出した。あの時は病気で自分がどうなるかとか
もっと深刻に、あれやこれや考えたり、自分の不運を嘆いたりしたが、
今回は、「あーあもう しょーがない、なるようにしかならない」
とかなり達観してきた。
(まあそれほど深刻な状況でもないらしいからかもしれんが)

21年前の入院生活のとき、よく見舞いにきてくれていた大学時代の
奴らの顔を見たくなって、昨晩の飲み会に飛び入り参加したが、
もう酒はのまなかった。

それに21年前あんなに悩んだくせして、それからの21年間
悩んでいたことこととは全然関係ない人生で、そのころ悩んで
いた病気は完全に治っていた。

それに、こないだのブログで子供の授業参観で涙がでたことを書いたが、
まるっきり自分自身ののことでは涙なんかでやしないのであった。

自分に不思議なくらい親切にしてくれた人のことで泣くことは
あっても、自分自身のことでは泣く気にもなれない。
悲しくもない。なんでだろ。