火曜日, 2月 27, 2007

大学時代の友人達とスキーに行ってきた。


先週金曜日は、前日の飲み会での二日酔いを引きずったまま、
夜から、大学時代の友人達と蓼科のほうにスキーに行ってきた。

自分でもよく覚えてないのだけど、確か僕は大学の1、2年に3回くらいスキーに行っただけで
その後まったく滑ってないはずなので、(スキー場までいって滑らなかったこともあった。)
今年は、23年ぶりくらいにいきなり、スキーに3回も行っていることになる。

それで、金曜の夜もビールを大量に飲んでしまい。

さらに二日続けての大量飲酒だけでなく、睡眠不足で、なんか気持ち悪いまま
車山高原スキー場につれていかれた。

ここで一番簡単なハズのコースも子供達といった小海リエックスの初心者コースよりもは
かなり急なのだった。ただ、コースがとても広いので、緩やかに回れるように
斜め方向にズーっと滑ってなんとかターンしてまたズーっと反対側の端っこまできて
とかを繰り返していた。

友人達は、上級者コースでも問題ない人たちなのであった。

それでともかく一度一番上までいって、山頂で記念写真をとるから行こうということで
内心、やばいなあと思いながらリフトにのって一緒にいった。

車山高原のてっぺんは凄い風で、飛ばされそうで、ちょっといるだけで、
頬が痛くなるほどの寒さだった。

記念写真は無事取れたが、問題はそこからどうやって降りるかである。

でも、初心者でも降りられるくらいの傾斜のコースを選べてそれと
狭くてターンが苦しいときは、スキーをわざとエッジと立てないで
斜め方向にも滑らしてスピード落とすような感じで、何とか降りてきた。

そして、初日は一回も転ばないですんで、ホットした。転ぶと余計に疲れるし。

その晩は、みんなは酒をまた飲んでいたが、僕は酒はやめて、ジュースとかをのみ
宿のカラオケでバカ騒ぎしたが、僕だけ夜中の2時に部屋に戻って寝た。

翌日はビラタス蓼科にいった。

またレンタルショップへいって、道具をかりて、こんどはリフトではなく
ロープウェイで一気に一番上までいって、そこから滑ってくるのだけど、
もう昨日の疲れで腿の筋肉痛がひどくて、駄目。

どうってことないところでも、腿の筋肉痛で自分からあきらめるように転んでしまった。
(あーあ一回も転んでなかったのに)

落ちたゴーグルをかっこいいパトロールの女性が拾ってもってきてくれた。

「大丈夫ですが」 (笑顔がキラ、かわいい、だけど、どうってないところで無様にこけている俺)

即座に

「大丈夫です」 (確かに筋肉痛と疲労以外は大丈夫だが)と答えた。

さて、僕のスキーのうまい友人達にはわからなかったらしいが、
ピラタスは、てっぺんまでいってしまうと、初心者向けのコースにも難関があった。

ボーダーもスキーヤーもその手前で

「ここだけ怖いんだよなあ」

とかいって、止まっている。

怖い前に疲れて身体が動かない。初心者らしい女性のボーダーと僕だけがなかなかそこから
動かなかったのだけど、しょうがないから、すべりはじめたら、案の上、ターンの途中で真下向いた
ところで、ターンできなくなり、スピードがましてきて、もう面倒臭くなったように転んでしまった。

疲れた親父は、若者と違って、もうあきらめて、もう転がりながら滑るままに、脱力しながら
任せていたら、下まで、身体で滑ってしまった。

何とかなるじゃん。

スキーよりラクに降りられたじゃん。

そこからはなんとか転ばずにリフト乗り場まで戻ってきた。

でもその日はその一回だけとしておいた。

スキーも結構面白いじゃないかと今頃になって思った。

大学時代の友人達は、まあお互いに気心がしれているので、
キラクに過ごせるところがよいのであった。

そんなわけで、このブログのタイトルの
バイク、ゴルフ、水泳、音楽 だけでなく

スキーや、たまにやってきてスキューバダイビングやら、
他にも楽しそうなことがあれば、手を出していこう。

何歳から初めても、楽しめればいいや。

友人も、昔の友人との関係も大切にしながら、
新しい、友人もいくつになっても作っていきたい。

僕は友人作るの下手なままだけどそれもいくつになっても遅すぎることはないと。

でもこないだ見つけた、アルゼンチンタンゴの無料講習会はかなり興味がありながら、
やっぱり恥ずかしくて行けなかった。

次はピラティスとヨガでもやってようかな。

ヨガやって呼吸法を学んで、リラックス方法を学んで 身も心も不必要な力が入らないようにしたい。

若い人たちと飲んだ

先週木曜の夜に、8人で酒を飲んだ。女性が二人いてしかも僕の両隣に座ってくれたのと、
他の人たちも、話も面白ければ、感じもよく、楽しくなって飲みすぎてしまった。
普段飲んでないから、多分ビール1.5リットルくらいのんだのではないかと思うけど
かなりよってしまい。翌日はかったるい上に頭も痛かった。

それでも、若く、感じよい人たちと酒飲めて、楽しく、ああこれからはもう、
年下と付き合うことが一段と多くなるんだよなあ。

僕だけとっても年上であった。思えば自分が彼らくらいのときと
比べるとはるかに彼らのほうが大人で、今の自分と比べても
彼らのほうが大人のようにみえたのだった。

僕の左隣に座った女性に対して、
「あの僕立候補します」
とか確か二人の若者が手を上げて、
半分マジなのはわかるが、半分、余裕があって、

そういう感じで楽しく飲めるところが、いいなあと。

俺はそういう余裕がないままの若い時代であったような。記憶もあいまいだが。

水曜日, 2月 21, 2007

心房細動ほぼ治るも、水泳には不安が残っているのだ

先日、風邪ひいてセキがひどいときに

ホルター心電図

という検査で24時間携帯式の機械で心電図を記録してもらっていた。

そんな体調で変な結果でるのもいやだったのだが、今日結果をききに行くと
もうほとんど心配ない状況だといわれた。睡眠中に5秒間だけちょっと脈が
おかしい時間があったけどすぐおさまっているとのこと。

なんといっても心電図のエキスパート中のエキスパートのお医者さんが
そういうのだからそうなのだろう。

スポーツも全然問題ないとのこと。

薬も、もう4月から一種類だけにするとのこと。(それもまあ念のため)

随分慎重に診てもらっている。おそらく、僕よりずっと不健康でもここまで
調べてもらってない人は多いだろう。

さて、じゃあ大丈夫だろうということは良いことなのだが、水泳のペースを
あげてしばらく泳ぐと、脈が不規則になる。怖い。どこまでやっていいかが
わからない。一定以上、追い込むとほぼ確実に脈がおかしくなる。
脈拍で言うと160以上から。

これは病気というより、もう40代ではそこまでやってはいけないということなのかもしれない。

上の娘に 「パパは水泳の試合にでたいんだ」 と話したら

「パパには無理してほしくないんだよ。 長生きしてほしいから」

といわれた。彼女は、スイミングクラブに行っていたのに、選手コースで苦しいことを
したくないという理由で、そこまであがれる前にやめてしまった。
まだ7歳か8歳くらいのときのころの話だ。

親子でも随分違うものだが、常識的には、彼女の意見が正しい。

でも自分はどうしても、試合にでたい。

健康に悪影響がでるほどの練習はしたくない。
どうやってトレーニングレベルを測るのがいいんだろ。
基本的に仕事を持ちながらそんなことやるのは、無理しないわけにはいかないし。

そんなわけで、ウェイトトレーニングをなんとか続けながら、ダラダラと泳いで
何本かはダッシュしてくらいの練習でもするしかなさそう。

とてもインターバルトレーニングは、やれそうもない。体力的にも、健康上理由からも、
意思の弱さからも。

ここまで書いてから、自分が随分、贅沢なことを悩んでいることに気がついた。(どうして自分はこう馬鹿かね)

昨年までは、それどころじゃなかったし、ここまで回復できることすら、想像すらできなかったんだから。
心房細動なんて普通は治らないものらしいから。

自分がなんだかんだありながら、なんだかそれなりには幸運であることを、いつも覚えておこう。

ラッキーなんだよなあ、最終的には。今までのところいつも。そこそこには。

火曜日, 2月 20, 2007

2度目のスキー

日曜日に、今度は下の娘も一緒に3人で、またスキーに日帰りで行ってきた。
5時半に家を出たときは強い雨が降っていた。

スキー場近くでその雨は雪に変わった。

やっと初めて、スタッドレスタイヤが役にたってくれた。

スキー場で、下の娘にスキーを履かせて、さあと思うと
全然滑れず、転んで、しかも立ち上がれない。

それを30分くらい繰り返していて、大変な一日になりそうだなあと。
自分までまだ滑ってもいないのに汗がでてきた。

上の娘には滑ってきていいよといったら、楽しそうに何回か滑り降りてる。

そして上の娘がきて

「私が教えるから。パパ滑ってきていいよ」

というので、任せて、しばらく滑ってもどってきたら、なんとしたの娘も
滑れるようになっている。

まだ曲がれないけど。スキーを先を閉じた 「ハ」 の字型に押し出して、強力な
ブレーキをかけることができるようになっていた。

まだ7歳になったばかりで、体重も20Kgちょっとしかないから、止まりやすいらしい。

それで、初心者コースを3人で繰り返し滑り始めた。

ところが、二人のりリフトに上の娘を一人でのせて、
下の娘を抱きかかえるようにリフトに乗ろうとしたところで
ストックが娘の口に軽く当たってしまった。

それで娘の下の前歯が抜けてしまった。でも乳歯でグラグラしていたらしい。。
それと鼻にもあたってしまったようで、鼻血がふきだしてきた。
少し上を向かせても鼻の下に、血がたまってくるし、荒い息で
血が飛んでスキーウェアに赤い斑点ができてくる。

ティッシュはない。

あわてた僕は娘の鼻の下の血をチューチュー吸ってしまった。
吸血鬼か俺は。ちょっとしょっぱい。

口の中にも血がたまっている。

娘は痛いといって、泣いている。

困った。

上について何とかリフトをおりて、パトロールも呼んでもらっているうちに
血はダンダンとまってきた。

娘はもう

「帰りたくない、最後までいたい」

といっている。

それでそこで休んで食事をとって、
また滑り続ける。

ほぼ最後まで滑って、そのあと娘達の雪合戦や、
雪だるまつくり、雪での滑り台に付き合い、帰ってきた。

おまけに、その日が子供はリフト券無料だった。

帰りには、自動車の中から、雪の山々が雲間の夕日に照らされる
雄大で美しい、景色をみることができた。

雪の後の晴れ間は空気が一段と澄んで遠くの山々もとても
キレイに見えた。白い雲、黒い雲がが山から立ち上がっていく
景色をみることもできた。

僕はバイクで一度だけスキー場まで行ってしまったことがあるが、
やっぱり、こういう景色は自動車でスタッドレスタイヤで楽しむのが
いいなあ。あたりまえだが。

恋愛相談で全く役に立てず、でも真剣さに心打たれたこと

その女性はとても魅力的だけど、ちょっと危ない人で、自分がそれほど好きでない男については、その心を弄ぶことがある人だった。

その女を好きになった男は学歴も職歴も立派なエリートエンジニアだった。

僕はたまたま、その女性のほうを知っていて、その男のほうにはほんの数回あったことが
あるだけだったのだが、その彼が、僕に相談したいことがあるという。

僕ははっきり、自分の考えを彼にいった。
あまり人を見る目がない自分でも どう考えても彼が彼女の心を捕まえることはできないし、
万一捕まえても、そのあと彼が幸福になれるとも思えなかったからだ。

折角、僕に相談したいということだし。

「彼女は結婚に向かないだろうし、あたなともあわないと思う。ともかくやめたほうがよい。」

かーーー。俺みたいなこんなことに疎い人間のセリフじゃない。でも本気でそう思った。

彼の答えは意外なものだった。

「僕は彼女の声を聴けるだけでもいいんです。それだけでも嬉しくてしょうがないのです。」

「...................................」

何も言えなくなった。

しばらくたって、彼にきいた。

「何で僕に相談しようと思ったのですか?」

「それは、............................................」

また固まってしまった。

彼の真剣な恋愛感情に僕は何も役に立つことはいえなかった。
何故、彼はそこまで、彼女を好きになったのだろう。

僕はその女性が非常に魅力的なのは認めるが、
その純情な男の心を手玉にとって弄んでしまうところが、
それができてしまうところが、基本的に人間として好きになれないなあと
思うばかりだった。

魔女は現実にいるのだ。

金曜日, 2月 16, 2007

きっと僕なんか簡単に痴漢にされるだろうと思ったこと

朝の通勤で電車で座っていると、隣の若い女性が、急に僕になにか言っている。
でも良くわからない。

私「あの何ですか?」
女「けられたから靴が汚れて黒くなった。」

その女性の視線の先を見ると確かに彼女の白いハイヒールに
2本の線のような黒い跡がついている。

????

僕の靴は黒い靴だったけど、そんなことあるのかいな?

僕は手をべたっと僕の靴で座りながら右隣の女性にぶつかることも
あるかもしれないあたりを触って、その触った部分が黒くなってない
ところをその女性に見せ

「多分僕の靴のせいで黒くなることはないと思いますよ」

といった。

そうしたら、その女性は今度は

「折角、寝ていたのに」と言うのであった。

ラッシュの電車で座席はキュウキュウで、しかも彼女は両足の間に
紙袋をおいて股を広げて座っている。

僕はもう何も言わなかったが、これが僕が立っていて、

「手で私のお尻をさわったといわれたら」

どうなっていたんだろうか。
ただ僕はこう言うかもしれない。

「僕の手は臭くないから、あなたのお尻には多分さわってないと思います。」

そしてそれで、その女性はさらに怒り僕は痴漢にされてしまうのかもしれない。

月曜日, 2月 12, 2007

川原の散歩道

折角の3連休だったが、体調悪く、遠出する気になれず
子供と近所の公園にいった。近くの川原べりの散歩道では
もう梅が咲き始めていていた。

子供達は公園で会った子供達と楽しそうに遊んでいた。
ブランコやシーソーのようなもので。

公園内にある野球場では、どうも公式戦を目指す少年野球チームと
その父兄の混成チームの練習試合をやっていた。

楽しそうに、真剣に野球をしていて、僕はそれを、キャッチャーの後ろの金網ごしにみていた。

その試合は5対6で大人のチームが勝った。

大人チームが子供チームに野球を教えながらやっていて、それも良かった。

散歩に行く前に、あまった鍋料理を沸かしきったところにインスタントラーメンの
麺をいれて、麺が伸びないようにすぐ火をきってから、ラーメンのスープのもとを
いれて、子供と食べた。こんなゲテモノてきなもとくわせて良いのかなあと思ったけど
子供はおいしいと喜んでいた。スープは捨てたけど、具は食べきった。

散歩から帰ってきて、妻も一緒にサイゼリヤに夕食にいった。

そんなのんびりした一日だった。

散らかり放題の自分の部屋を片付けてさっぱりして、(そういうのが大切なんだよなあ)
新しく妻に買ったレッツノートでPDFの体験版をインストールして、家のプリンターに
つながるようにして。

この3連休でセキもおさまり、体調もこの夜になって回復してきたみたいだ。

思えば、風邪がまだ治りきっていなかったのに、仕事とスポーツしたのがよくなかったようで
それで本調子にもどるまで一週間かかってしまった。

でもそのあいだ、いつになく、のんびりしたことが退屈にも感じないそんな時間を過ごすことができた。

さあ明日から、また忙しくなる。

日曜日, 2月 11, 2007

「進化しすぎた脳」を読んで

「進化しすぎた脳」

を読んだ。

面白い。著者が素晴らしく賢い人だということは僕にもわかる。
結局実際に優秀な人ほど、物事の本質をわかりやすい平易な言葉で
解説してくれる。

この著書の最初にかいてある「ファイマン物理学」こそ、その典型的な
書物なのだろう。

「進化しすぎた脳」での議論を読むとほとんどの心理学の本より
より具体的に科学的に心の本質にすら迫っているように見える。

それは具体的な脳の構造と動きから、心をその一部として解釈している
ような話し方をするからリアリティーをより高く感じてしまうからだろう。

ただ、意識や心が潜在意識や身体の奴隷に過ぎないという表現(今、手元に
本がないので、正確にそういっていたか自信がないが)に多少の疑問はわいた。

一時的に、短期的に考えれば、そうなのだろう、ところが、意識、心、さらに、
長期的な目標に基づいた意志により行動をコントロールしていけばそれによって
身体も潜在意識も変えらることもできるだろうから、そこまでいける人にとっては
やはり、意識や心が、潜在意識の奴隷と言い切れるのだろうか。

もっともこれだけ、賢い著者がこれだけ噛んで含めるように解説してくれていると
自分の疑問のほうがおかしいような気がしてきてしまうので、自信がもてないが。

僕がこの分野についての興味が高いのは2点の理由がある。

1つは、人間というのはそもそもどんなものかということに今一番、興味深く、説得力の高い説明をしてくれること。

もう1つは、自分のもともとの才能のなさを知る自分にとって、脳の研究資料を読むことは、
スポーツ選手が筋肉の生理学をトレーニングに活かそうする興味と似た興味をもてるということ。

おバカな僕ちゃんでも人並みの知能を持つにはどうすればよいの 教えて教えて、知りたい知りたい。

という興味ですね。

スポーツでも、勉強でも、仕事でも、自分より明らかに優秀な人や組織に、創意工夫、努力、
強い意志で勝てたり、他のやり方でより大きな成果を出せたとき、本当に嬉しいものです。
本当にたまにしかないけど。きっとそんなときこそ、自分の意識、心、意思、それを超えた
魂のようなものが、自分の身体と脳を実際以上の成果を出させたと感じられるからでしょう。

漫画でもそうですね。

「頭文字(イニシャル)D」だって、ライバル達より、性能の劣るマシンで公道レースで勝つところに
醍醐味があるのですから。

まあ、それも滅多におこせないことだから、見果てぬ夢にできるのでしょうね。

スーパーマーケットにて

今日はイトーヨーカドーに行って買い物をしてきた。
ついでに、色々みまわってきた。

どうもイトーヨーカドーをそんなには好きになれない。

物がたくさんありすぎて、なんだか焦点がぼけてしまうような感じだ。

嫌いでもないけど。

そのイトーヨーカドーには以前はゴルフ用品売り場もあったけど、
全然売れてなかった。だれもゴルフ用品をあえてイトーヨーカドーで
買おうとはしない。

靴もみてみると、やっぱ靴の専門店のほうが、ずっと良い靴がそろっているようにみえる。

でも色々なものがいっぺんに見れるから、便利は便利だ。店内もきれいだし。

僕が好きなスーパーマーケットは 生協(今はCOOPに表記を統一したらしい)だ。

素材が結構新鮮で良いような気がする。肉とか魚とか、健康によさそうな
ものもそろっている。店が大きすぎず、一回りするのにちょうどよい。

それと、家のすぐ近所にある、スーパーマーケットともいえないくらいの
小さなお店。

ここには、小さなコーナーだけの魚売り場があって、かなりの年齢(おそらく70はかなり超えてそうな)
おじいさんとおばあさんがその魚の部分はまかされているらしい。おじいさんはおそらく
魚屋さんを長いことやっていたひとなのだと思われる。

ここの中トロ、大トロは、最高にうまい。うまいだけでなくて見栄えもよい。
刺身のきっつけがきちんとそろって、硬い刺身のように見えるのに
口に入れると、まさしくトロで、均質なトロの脂の旨みが口の中に広がる。

おじいさん、採算度外視でやっているんじゃないかとちょっと心配になるくらいだ。

ある日、その店の終わり間近にいくと、おじいさんがモップで床を拭いていた。
クビをがっくり落として疲れているようにみえた。
中トロが一つ残っていて、おじいさんに

「これおいしいよね?」

ときくと。
おじいさんは急にクビをピンと立てて僕の目の前に右の親指を立てて

「なかなか食べられねえ味だよ」

というのだけど、僕はその機敏な動きに驚いて、言葉を失った。

ああ自分の仕事にプライドもっているんだなあと、それにも言葉を失った。

僕は自分の仕事にプライドもててないなあ。

年末、年始用にそこで刺身を買おうとしたら、もう予約が一杯で
買えなかった。あのおじいさんの刺身のファンは意外に多いらしい。

娘達に女性に共通するものを再認識する

風邪で体調すぐれず、遠出する気にもなれないので、
娘達をつれて、近所のビクトリアとイトーヨーカドーに
いってきた。

ビクトリアでは、娘二人がスキーウェアの試着を始めたら
もうすっかり ”買うのが当然、買うのが自然”という状況に
なり、まあいいかと買ってしまう。俺も甘い親父である。

買ってから、娘達は「パパありがとうねえ」と何度も言って
態度が急にまえより親密になるのであった。

昔、娘を公園につれていくときに、まだ3歳くらいのこどもが
バッグを(必要なくても)もって行きたがったことがある。

そんなことをしたがる男の子はいないだろう。

長いこと、同じようなブランド物の(高い)バックをいくつも
欲しがる女の心理が全くわからないまま、
金がなくても買わされて気持ち悪くなってしまったことも
一体何回あったことだろう。

今でもその心理の理由はわからないが、自分の娘達をみて
わかったのは、それが本能に根ざしたかのような非常に
根源的なものらしいということだ。

ふとこんなことを想像してみた。

あるところに、とても美しい女性がいた。
彼女はつらい過去を背負っていて、その心の傷を癒すように
身障者へのボランティア活動をしていた。

生活は質素そのもので、服装も質素なのだが、
彼女そのものがもっている、心の気高さと
眼差しの真剣さが見るものの心を捕らえてしまう。

男はそんな彼女をみているとこちらから、自発的に何かを
プレゼントしたい気持ちに駆られてしまう。

でも彼女は男からのプレゼントを何も受け取ろうとしない。

そんな女性は、想像の中にしかいないんだろうね。

木曜日, 2月 08, 2007

エステの大先生らしい人

自分がいま一番利用している渋谷のオフィスのとなりの部屋に
ときどきテレビ取材もきている、エステの先生の研究所(といっても一室)がある。

そのエステの先生が、多分、年齢も僕と近そうな女性で、仕事をてきぱき
こなしとてもできる人のようだ。

韓国の一子相伝だか、韓国外には基本的にださない、マッサージ方法だとかも
特別に教えてもらっているらしい。

お客さんには、有名人も多いらしく、特に”小顔”にするのが上手らしい。

自分とは全然違う分野であるが、僕には非常に難しいことの連続だった
(それでも6年間もやったが)韓国とのビジネスを継続しているらしいこと、
またとても需要のある分野で活躍しているらしいことから、僕はとても
この人が気になっている。

私にも挨拶してくれているので、今日は僕から切り出して少し話を
してみたけど、とても賢い人らしいなあと、よくわかった。

友達は、韓国人のほうが多くて、もう韓国人の知り合いは200人くらいいるということ。

僕があって、かなり話をしたのは、せいぜい30人くらいの韓国人なので、
それをもって、韓国人をこうだと決め付けてはいけないが、 難しいことが多かった。

おそらく、彼女の賢さ、仕事熱心さが韓国の人にも伝わるし、
彼女の賢さでそれをうまく伝えて良い関係を作り継続できるように
しているのだろう。

こういう人もいるんだなあ。

俺はまだまだ、修行して(オウム真理教かって古すぎだね) 勉強しなくてはと
思いましたです。

ああ僕も小顔にしてもらうともうちょっともてるんでしょうかね。

風邪で冴えない ああ

風邪でも仕事くらいはこなさなくてはいけないが、結局、この一週間風邪が治ってない。
治ったような気がしたのだけど、そのあとすぐに無理をしてしまい、ぶり返してしまい
今日が一番つらい。こんなんじゃしょうがない。

またまたセキがたくさんでてきてしまい。
またまたのど飴に頼っている。
これが一番、単純にきく。

もうたった150日あまりしかない、ジャパンマスターズにでるためには、
自分の場合まず、健康管理が大切だと痛感する。これじゃ練習もできない。
ウェートトレーニングもまだ2回しかしてないのに。これじゃ元の
木阿弥だ。

アホやなあ。毎度、俺って。

健康のために本を探す。

人生通算、入院経験が確か9ヶ月間くらいあるハズの僕は

”ケッ どうせ早死にするんだろうからもうやりたいようにやってやる”

というふてくされた気持ちと

”日常生活から気をつけて、平均寿命以上の人生を全うしてやるんだ”

という気持ちが両方ある。

後者をとって、健康生活をすごす場合どうやったらよいのかも
考えてみることが時々ある。

最近あるある大辞典だかという番組で偽の健康情報が流されたとか
いう問題が大きく報じられているが、そもそも特定の限られた方法を
ひたすら続けて健康になれるなんてことは難しいようにおもう。

所詮はバランスだから。

また多くの健康のために良いという情報が、その根拠となる
統計データーがあまり示されていないことが多い。

何が本当に健康によいか、本当に役に立つ情報が何か、見出すのがそんなに簡単でないのだ。

色々読んでみて僕の目から見て、かなり信頼できそうなデーターをもとのまとめられている
本はこれだった

長寿の謎を解く

根拠となるデーターも示されているし、著者も立派な方だと思う。

ただ、これを読んで、自分が退院後また高血圧になってきたことや
不正脈が完全には治ってないことから、やっぱり、いまのままでは
平均寿命までは難しいのかなとわかるのだ。

多少は血圧高いほうが、身体の動きが良いようなきもするのだが、
そのプロ中のプロみたいなお医者さんにあっさりいわれたのは

「高血圧は、早く死ぬための貯金のようなものですから」

でも高血圧の薬飲むとなんか調子よくないような気がして、飲んでない。

健康のありがたみは失ったときこそよくわかるので、
なんとかたてなおしていきたい。

結局、僕も長くいきていたいらしい。

ベトナムのバイクを自分の目でみて思ったこと

もう、一月前のベトナム旅行でのことだが、まだベトナムのバイクのことをあまり書いてなかった。

ともかく、バイクの台数が多いのです。話にもきいていたし、記事でも読んだことはあったけど、
実際のこのバイクの洪水をみると、特に日本のバイク乗りの僕は、色々感じ考えました。

法律の関係だかで走っているバイクは、見たものは全て100ccから125ccのようでした。
カブの排気量を110ccくらいにしたのが大半でスクーターも増えてきているようです。
一番多く見かけたのが

HONDA WAVE110

いう奴。

大きな荷物も、子供も、3人乗り、4人乗りもありで、自動車はとても少ない。

バイク乗りは多分僕に限らず、ともかくバイクにたくさん乗っている人に対して
無条件に畏敬の念をもってしまうところがある。

それで、僕は、毎日バイクにのってそうなおばさんにまで畏敬の念を
もってしまうのだった。

”このおばさんは、おばさんだけど、僕よりたくさんのバイク経験をしているんだ”

と。ベトナムでバイクをみていると、バイクなんて125ccまでで実用上、問題なく
それ以上の排気量なんていらないのかなとおもえてくる。

また、どのバイクも、姿勢がとても楽そうだ。上半身をほぼ垂直に立てて乗れるように
なっている。バイクをしょっちゅう、長時間のるという視点で考えたらそれは
基本となるのだろう。やっぱり、レーサーレプリカの前傾姿勢じゃどうしようもない。

バイクをあそこまで実用的に使いこなしているのをみるのは楽しかった。
昔の日本もそうだったんだろうな。

僕は日本でもWAVE110にのればもっとちょっとしたことにもバイクを使いたく
なるんじゃないかと思った。

火曜日, 2月 06, 2007

スポーツに必要なパワーで僕が考えるもの

パワーは馬力です。移動距離と力をかけたものを時間でわったもの。

だからどんなに力があっても移動距離が短いとパワーがあるとはいえない。

実際の身体に置き換えると、力がありながら、柔軟性があって関節の可動域が
大きいことが本当のパワーを得るためには必要だと思っているのです。

今の僕には両方ないので、ウェートトレーニングだけでなく無理のないストレッチもやって
関節可動域を大きくおとれるようにしたい。そこまでできればあとは技術しだいで
水泳は速くなれるはずだ。

でもさらにいうと、速さがかわると、泳ぎもかわるからなあ。

水泳でも、ゴルフのドライバーでも、共通して思ったのは、ゆったりした大きな動きが
一番効率がよく、結局は速く泳げることになり、遠くに飛ぶことになるということ。

それが何故かはうまく説明できないから、自分でも理由はよくわかってないということ
なのだろうけど、それは間違いない。

トレーニングの適正レベルはどうやってさがすのか

7月のジャパンマスターズにでるために練習できる期間は、もう5ヶ月間しかない。
仕事もあるので、時間もとれず、短時間であわてて、ウェイトトレーニングをやり
それも軽く感じたので、先日、インストラクターに作ってもらったばかりの、
メニューに2セットとなっているところを3セットやり、あわてて、泳いで、すぐ
終わらせたら、帰りの電車ではきそうになり、また不整脈にもなっていた。

幸い、今朝は不整脈もおさまっていたが、筋肉痛はさほどでもないが、なにか
全身虚脱感がある。それでも仕事の手を抜いてはいかないと懸命にやっているけど、
ジャパンマスターズにでて納得できる結果をだすというのは、なかなかの挑戦なんだな。

健康にそれほど害なく、仕事もなんとかそれが原因でだめにならないようにして、
かつそこそこ泳げるようになるのは。

つまるところ、僕の考えでは水泳も、パワーと技術が全てなので、

パワーについては
ウェイトトレーニングを無理のない範囲で効果的に定期的に継続すること
食べ物に気おつけて、高たんぱく低カロリーの食事をすること。

技術については
元日本記録保持者が主催する練習会に参加して教えをこうことにしようとおもう。
43歳にして始めて水泳を習おうと思う。今までずっと自己流だもんな。
それとそうやって速い人達の練習会に参加することが、やる気を維持することや
一人ではできないレベルの練習をするために、それを楽しくやるために
一番良い方法だと思う。

とはいえ、不整脈を悪化させてはどうしようもないので、それについては医者にきいてみよう。
慶応病院の心電図のデーターをもっとも把握しているというあの凄く優しく温厚な多分
ぼくよりちょっと若そうな先生に。

不整脈はまずかったが、昨日は今までにないペースで50mを泳げたような気がして、
泳ぎながら、感動してた。

土曜日, 2月 03, 2007

ゴルフの飛距離と水泳の相関関係

昨日、初のウェートトレーニングして水泳もしたばかりなので、
筋肉痛もすこし残っていて、今朝のゴルフ練習場ではまともに
ドライバー打てないのじゃないかと思っていた。

それが、大違い。

いつになくドライバーが飛んだ。

250ヤード付近にある高いネットのうえを超えていくことさえあった。

相変わらずコースに行く予定もないので、練習場オンリーの
生活ではあるのでそれ何の役に立つわけでもないが、それだけ飛ぶととても気分がよい。

玉が、高いところで しばらく水平方向に飛んでいるようにみえて
滞空時間が長いと、フィニッシュをとったまま、その玉のいくえを
みていると、ある種の充実感すら覚える。

なんでこんなに飛ぶんだろうと思った。水泳でジャパンマスターズにでると
気持ちを決めて、たった一回のウェートトレーニングとたった一回の
試合を意識した水泳練習をしただけで、身体が変わってきたということ
しか考えられない。

ちょっとまえに人生バランス大切だみたいなこと書いたような
気がするが、また僕は何の経済的な利得もないことに夢中になりそうだ。

バカだからしょうがない。

高円寺ライブハウスで音楽について思ったこと

魅力的な音楽をつくれる人は、何かが違う。
でも実は有名になれないけど、かなりよいシンガーはたくさんいるのだ。

売れることと売れないことの間にある何かは、マーケッティングなのだろうか。

とてもキレイな演奏と、キレイに歌うバンドがいたけど、それが魅力になるとは
かぎらない。それよりキレイなだけでは魅力にならない。

逆に荒削りで、うまくないけど最高にカッコ良いバンドもいた。

カッコいいとか魅力的とかいうことは、何からでてくるんだろう。

わからないけど、そういう人たちはみんな何か表にでないことがあっても
みんな大きなエネルギーをもっているらしいんだ。

音楽のために用意したいこと

今から、6年前くらいから、音楽をmp3で大量にダウンロードして
片っ端からきいて、好きなものを選んで効くということをやりだした。

人から教えてもらい。当時は、P2Pのソフトでダウンロードし放題だったから
何千曲もダウンロードしておいてすきなのをきいた。(今は違法ダウンロードは難しいらしい)

でも時間は限られているので、その中から好きな探し出すのに
なにか効率的な方法を見出したい。

それと、自分が子供時代から今まできいた好きな曲、
耳覚えのある曲をまとめて持っておきたい。

それと、自分の好きな歌手(アーチストつうんですか)の曲を
網羅できるようにしたい。

それを全部 mp3の小型プレーヤーにまとめて入れて
いつでも聴けるようにしておきたい。

でも不精で、それもやり方もまだよくわかんなくて、
でもそんなものがあると、いいだろなあー。

カラオケボックスにあるカラオケ集にある曲を全部
まとめて小型のプレーヤーにいれてやれるようになるのかあ

それとも携帯電話のダウンロードし放題サービスやればいいんだろうか。

モーツアルトは聴かないけど、多くの人がこれだけ良いといっているということは
こういうのはムリにでも繰り返し聴いていれば、良くなるんだろうか。

ジャパンマスターズに向けて1 水泳の再チャレンジ

ジャパンマスターズは年齢別でチャレンジできる、日本で一番レベルの高い水泳大会だ。

7月中旬に開催されるからそれまでに、できることをやって、100m自由形に出場して
1分10秒を切ろうと思う。遅いタイムだけど、今の僕では悪くない目標だと思う。

目標は、達成できるものでなくてはならい。ほんの4ヶ月前死にかけていたんだから。

それでまず、スポーツクラブでウェートトレーニングのメニューを作成してもらい、
トレーニングを開始した(まだ一回だけ)。

クロールだけではまだ連続で泳ぐのが難しいので、クロールと平泳ぎを混ぜて
ともかく1km連続で泳いだ。

来週は、自由型400mの元日本記録保持者が主催する水泳の集まりの
説明会に行くこととした。

自分なりに、気持ちよく納得できる挑戦できるようにしよう。

そのまんま東に知事として活躍してもらいたい

これこそ、再チャレンジ可能な社会を証明するような知事なので、
再チャレンジして成功して、再チャレンジする人間の力を
アピールしてほしい。

僕も再チャレンジだ。再々か。

テレビで母子病棟というドキュメンタリーをみる

白血病で8歳でなくなった子供のドキュメンタリーをみた。
亡くなるまで、拗ねることもなく、優しく、明るく、残された家族への思いやりを
見せる子供の姿にある種、不思議な気すらしてしまった。

もしこういう子供が大人まで生きられたら、どんな人になっていたのだろう。

木曜日, 2月 01, 2007

高円寺は第二の故郷

昨晩、用事があって、中野に行き、そのまま歩いて、昔一人暮らしをしていた
東高円寺周辺まで歩き、昔よくいっていた ポパイという定食屋に10年以上ぶりに
よった。おやじさんは前より顔が少し細く、皺が増えていた。
しばらく僕の顔をみて

「もう子供は大きくなったかい?」

ときくので 僕は驚いて

「僕を覚えているんですか?」

ときいた。

あんまり懐かしくて、色々なものをたべたくなったけど、そうもいかないので、
牛肉、たまねぎ、ピーマン、しいたけ炒め定食と 切り干し大根、おひたし、を
頼んでとてもおいしくいただいた。

値段も昔と変わっていなかった。750円

他のお客さんたちは、ちょっと疲れてそうな、僕より年上にみえるおじさんの
一人客ばかり、昔のような若者が押し寄せガンガン食べるような活気はなかった。

口下手なんだけど、ときどき無性に声と話をききたくなるおじさんだ。

昔、一人暮らしをして、そのあと今の妻(といっても結婚は一回しかしてないが)
と同棲していた、ペントハウスみたいな不思議な部屋(大家さんの家の上に小さな一軒やがあるような部屋だった)はもうなくなっていた。大家さんが大きな家を建て直していた。

高円寺で一人暮らししていたときにいた場所にくると、あの頃はいまよりずっと
色々なことを考え、真剣だったんだなあと、胸に蘇るように思い出す。

失恋のあまりの喪失感の強さに3日間も眠れなくなったり。(ちょうどそのとき桑田バンドの
アイフィールザエコーだかがはやっていて、そのあまりの歌詞のまんまの状態に、
FMから流れる曲をききながら、起き上がれなくなっていた。それでも会社にはいっていた。

明け方までライブハウスで騒いで、寝ないまま、それでも会社にいくことをくりかえしていた。

とても可愛い女の子がその子の友達のことを僕にこんな風に紹介した。

「ねえ、あなた、一人暮らし始めたばかりじゃ寂しいだろうからとりあえずこの子と付き合いなさい。
枯れ木も山の賑わいよ。」

どうでもいいような会話でも僕はその自由な雰囲気にあこがれて、のめりこんでいったのに
サラリーマン生活だけは、転職繰り返そうが続けていた。

当事ライブハウスにいた自由人たちは、本当にいい加減に自由に生きている人が多かった。
それにもあこがれたのだけど、いい加減さに途中で自分と違いすぎるものを感じてダンダン
嫌になっていった。

タイに遊びに行ってきた男がコヒーを飲みながらいった。

「タイでは女がこのコヒーと同じ値段で買えるんだ。」

中年の男と若い(これまた綺麗な)女が急にこんなことをいっていた。

「明日から私達はジャマイカに2ヶ月くらいいってきます」

僕はその自由さに全身で憧れながら、無責任な根無し草のような
その人達の世界に入ることはなかった。

でもいわゆる、きっちり会社員をやっている堅気の人達にもいまひとつなじめなかった。

お偉いさんの秘書をやっている女の人が
僕が最初に一人暮らしをした風呂もないボロボロの埃が1cmくらい
つもっているアパートにくると

「あなたとは結婚できないとわかりました」

とか、いわれた。彼女の上品で綺麗な服(スカートの裾とストッキングに部屋の埃が
ついて汚れているのが かわいそうだった。
(だったら掃除しておけばよかったのはいうまでもない)

その子は掃除をしてから、2度とその部屋にくることはなかったのだが、
そもそも彼女の人生で、あんな部屋にくるような経験はなかったハズだ。

彼女はそれからあまりたたずに、学生時代からの付き合いのある
人と結婚したそうで、僕と彼女のことをしる唯一の共通の友人がそれを
僕に知らせたあとこういった。

「お前、遊ばれてたのか?」

俺って女に遊ばれちゃってたのか? でもあれなら遊ばれてたこと全然悔いないですね。

これが、高円寺で経験したことの、一部。

やっぱり高円寺は僕の第二の故郷だ。

不動産屋にてSOHO可能な部屋を探す

SOHOとして使ってもよい物権をインターネットで探してみたが、
今一なので、実際に不動産屋にいってみた。

やっぱり、実際の不動産屋のほうが新鮮な物件もっていることがわかった。

それはよいけど、私の隣には、ライトブロンドにカミを染めた安いキャバクラ嬢の
ような若い女性が部屋を探していた。

店のひと 「ねーねーコンナン部屋 よくない? いいとおもうよーー」

ネーちゃん「うーん それいいかもね、今その子がサウナにいるからかぎもらって
すぐすめそうかみたいんだけど。 そんでいい?」

というような会話が繰り返されていて、どうもそのネーちゃんは今住むところがないらしい。

反対側の隣には、父親と娘だか、パパと愛人だかわからないような二人が部屋を探していた。

私は私で、住むわけでもないけど、オフィスとしても使えそうな 便利な賃貸マンションを
探していた。

みんなそれぞれなんだよなあ。