金曜日, 3月 16, 2007

人を好きになると思い出すこと

なんつって、今特に好きな人もいないので、良く思い出せないのだが。

人間は感情の生き物だと、自覚する。

小学校5年生のときに転校した。2学期から。

クラスの男の子たちが僕に話をするとき、みんなある
女の子のことになると、非常に熱っぽく話すし、長く話すのだ。

でもその女の子はそんなに僕の印象に残るような女の子では
なかった。

だから、なんでみんなその子に夢中なのか不思議でだった。

でも一緒に同じクラスで時間を過ごすと、僕もその子のことが
ダンダンと気になってきた。 

何でだろう。

例えば、その子のおじいさんが死んだとき、彼女はそれを作文に
書いて、授業で読んだ。作文も心を打つものだったけど、
今でもおぼえているのはそれを読んでいるとき彼女が涙を流し、
鼻水をたらしたことだ。

そのとき、クラスメートは息を詰めて、彼女を見て、彼女の声を聴いていた。

彼女の心が、自分の中に入ってきてしまうように感じられたと記憶している。

僕は人を好きになるとき、このときのことを思い出す。

それから、10年後の冬のある日、電車の車両の一番端の席に座って
何故か、隣の車両をガラス越しに見ていると、その彼女がいた。

隣の車両なのに、彼女が僕に気がついた。

そして、重い荷物を引きずるようにして、車両を移って座っている僕の
前まできてくれた。

彼女は一流大学の学生となっていた。
スキーに電車で行った帰りだった。

彼女と話をして、僕は天にも昇るような気持ちだったけど、
表向きは冷静に話をしていた。

凄く意外だったことが二つあった。
彼女が自分はもてないと本気で思っている らしいことと、
彼女は日記をつけていて、その中に僕は良く登場していて
小学校と中学時代の僕が忘れていたことを彼女が話してくれたことだった。

特別な美人ではないかもしれないし、彼女の素晴らしさは、転校したばかりの
僕がそうであったように、短時間ではわかりにくい。

僕は、そのとしになっても僕が転校してから中学校卒業するまで、
彼女のことで頭が一杯だったことなんて、少しも話せなかった。

駅を降りて、階段を昇るとき、彼女の重い荷物を持とうとしたら、
大丈夫といわれて、結局、持たないであがってしまった。

何であのとき、無理にでも荷物を階段の上まで運ばなかったのだろうと
ときどき思い出す。

それが、彼女をみた最後だった。

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