木曜日, 3月 29, 2007

バタフライ・エクスタシー

こうかくと、H系の変な話のタイトルみたいだなあ。

僕はバタフライという泳ぎには特別な思い入れがある。
ジャパンマスターズで唯一メダルを取れたのはバタフライ100mだった。

自由形はレベルが高くとても僕が勝てる区分ではなかった。

そもそも、僕は体力も技術も水泳習った経験もないんだから。

バタフライは、まず参加者が自由形より圧倒的に少ない。

僕が昔でたころのジャパンマスターズでは(今は知らんが)
ありがたいことに7位までメダルをくれるのに、
20代後半区分で100mバタフライに出場したのは10人くらいだったと記憶している。

僕はきっちり7位でメダルをとった。タッチして横をみると、ニュージーランド人が
僕と同時にタッチしているように見えた。でも、この人は8位で、ちょっと悲しそうな
顔して、僕は心の中で 「スマン」 とつぶやきながら、でもメダルもらえることを
喜んでいた。

その頃からしっかり、過剰な馬鹿だった自分は、バタフライばかり練習して
きっちり、起き上がれないほど、腰を痛めてしまった。

でもバタフライには僕でも勝てるかもしれないという魅力以上の
危ない魅力があるのだ。

僕の泳ぎが不器用なせいなのかもしれないが、僕の場合、
クロールなら、他の人と同じようにスピード調整ができる。

50%の力でも30%の力でも泳ぐことができる。

ところが、僕のバタフライは、80%以上の力を出し続けることでしか
泳ぎ続けられないのだ。

(まあ他にもこういう人いるかもしれないけど)

さらに、そのリズムとタイミングを維持するために、他の泳ぎでは
到達できないところまで、体力をギリギリまで、
バタフライというダンスに自然に吸い取られるように、
自分から捧げるように、使えてしまう。

しかも、それが、あるところから、気持ちよいエクスタシーのような
ものになってしまう。

俺はこのリズムでバタフらっているためなら(そんな言葉ないか)
また腰が砕けてもいいんだもんねえーーなんて危ない領域のスイッチが
入ってしまう。

これが僕が経験したバタフライ・エクスタシーなのだ。

やっぱり自分が馬鹿だからそうなるだけのことなんだろうか。

その昔、マーク・スピッツという天才スイマーがいたが、
あれほど上手にバタフライを泳げる人すら、脊椎分離症になっていたと
いうことを何かでみた。

今で言えば、マイケル・フェルプス は他のスイマーから頭一つどころか
身体1つ以上も抜け出たスピードでバタフライを泳いでいる。

今のバタフライは昔より上下動もしなければ、身体にくねりもいれないらしい。
それにはおそらく腹筋と背筋が強いこと、肩周りの柔軟性と筋力、
くねらせないでも、リズムとタイミングを的確に刻める能力がいるのだろう。
くねらせない分、昔より腰への負担は少なくなっているかもしれない。

それできちんとバタフライを泳げれば、ストローク全体を通じての進行方向からみた
身体全体の前面投影面積を減らせるわけだから、水の抵抗も少なくなる。

でも、そんなことより、マイケル・フェルプスが泳いでいるときどんな感覚の
中にいるのだろう。

正確な機械のように泳ごうとしているのだろうか。

それとも誰も味わったことのないほどのバタフライ・エクスタシーを感じているんだろうか。

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