日曜日, 4月 29, 2007

自分の会社があること

僕は自分の会社をもっている。

もともとは、外資系の日本法人の代表の仕事を引き受けたことからこうなった。
普通の人では引き受けないような困難な状況の会社の代表を、
危険を承知で引き受けた。

引き受けた翌月の自分と社員の給料を払う金もなく、設立後過去8ヶ月間売上0だった。

絶対絶命のような状況から当時の社員も頑張ってくれ、自分も必死で
大企業相手にも引き下がらないで交渉条件を詰めて、
会社は急に売上が上がってきた。

そのときの喜びはとても大きかった。

金が入ってそれを何かに使えるからではない。
自分のやっていることで成果がでることが何より嬉しかった。

成長していること。
共に頑張ってくれる社員がいること。


それが、あまりに嬉しくて、自分の過去の失敗や、様々な経験は
このときのためにあるとすら思えたほどだった。

ただ、それは継続できなかった。色々な理由があるけど、
一番わかりやすいのは、本社の調子が悪いことだった。

他の海外法人を閉鎖していることは僕には知らされず、キミならやれると
本社の社長から励まされ、馬鹿で単純な俺はその気になってまた困難の
多い道を走り続けていった。躓きつづけていたというほうが
実際にちかいかもしれない。

紆余曲折をへて、さらには本社から、日本法人の株式を私が買い取った。

自分は現在他の会社に勤めることすら必要な状況で。

昨年、入院したことも今までの無理も関係しているように思っている。

無理に無理を重ね、馬鹿なことをしているように思える自分にも
良かったと思えることがある。

最近、妻に素直に感謝できることが多くなった。自分の会社を
助けてもらっているからありがたい。

それと、うまくいってないときの過程で、僕は世の中の色々な人の気持ちを
以前よりもはわかるようになった。

もし僕の仕事があっさり良い状態を継続できていたら、僕は
仕事がうまくいってない人を、努力が足りないだけと軽蔑する
ような人間になっていたかもしれない。

自分がどうなりたいかを43歳でもわからないまま 目先の問題解決に
追われるままである。

もっと気持ちよい汗をかくには、自分がなりたいものを決めて
それに近づけるための努力の中で汗をかく方がよいと思って
いながら、なりたいものはわからないまま。

僕はこのまま汗をかいて生きよう

このブルーハーツの歌詞を知ったのは高円寺のライブハウスで
ボーダーという漫画を読んだときだった。

とても面白い漫画で、持っている人はこの本だけは持ち続けようと
するらしく、古本屋にも滅多にないし、ぼくもまた読んでみたいけど、
もうずっと目にしてない。

安アパートの共同便所だったところを改造した部屋に住んでいる
主人公が活躍するのだけど、その主人公がときに世界一カッコ良く
みえるんだ。だから自分の価値観を揺さぶられるような気がした。

あっち側でもこっち側でもない、ボーダーを生きる人たちの話だ。

だから、ボーダーであるということは、実質上、少数派として
この世の中を生きるということにもなるのだろう。

僕はおそらくは自分の頭の悪さと、生まれもっての性分のせいで、
何回も難しい状況に陥ってしまう。

別に自分だけが苦労しているわけではないだろうけど、
冷汗、脂汗、うなされるなんてことは毎日のことだ。

こいういう生活から抜け出したいとおもうこともしょっちゅうある。

でも、もう僕はこのまま汗をかいて生きていこう。

と覚悟して割り切ったほうがよいのだろうとも思う。

それでも、できるだけ気持ちの良い汗をかけるようにしたいが。

月曜日, 4月 23, 2007

レイ・クロック自伝 成功はゴミ箱の中にを読んで

52歳からマクドナルドのフランチャイズビジネスを始めた男の自伝を読んだ。
レイ・クロック

失敗や下積みの苦労が少しも彼の心の若さを失わせず、
彼の真っ直ぐに突き進むガッツはすこしもへこたれない。

一体、どうしてこんなに仕事を楽しんで、前向きに突っ走り
続けられるんだろう。そればかりを考えさせられた。

彼自身の生まれ持った性格によるところが大きいのだと思うけど、
正直であること、率直であること、誠実であることを貫いているから、
自分の魂を疑うことがなく、それが彼の心の輝きを保っている
理由の一つにはなっているのかと思う。

人妻を好きになってまず、自分が離婚して、相手は結局離婚できなくて
自分のところにきてくれなくて、がっかりするところなんか、
仕事でのエピソード以上に凄いなあと思わされた。

自分に正直なんだなあ。

でも、僕はマクドナルドは好きじゃない。食べるといつもなんか微妙に気持ち悪いような
気がして、余程でないと食べたくない。

自分も食べ物くらいは正直にいきたい。

日曜の神田と自宅のネットワーク環境変更と

仕事で用事があって、神田駅の近くにいってきた。
日曜の午前はまるでゴーストタウンのような雰囲気だった。

かえってきて、自宅は、ヤフーBBのADSLから
NTTのフレッツ光への変更工事と、自分での設定変更(不精者の自分には苦手な作業)を
行った。

説明では、10メガから80メガへと通信速度が上がったということなんだけど、
動画をみたときにネットワーク環境(曖昧な話だが)全体の調子が良さそうな
ときは、確かに速くなったと感じるのだけど、ログインするときのスピードなんか
かえって遅くなったようにも感じる。

今一つ納得いかないけど。まあいいか。

最近2人の娘が一段と私の面倒をみてくれる。これじゃあ寝たきり老人みたいな
響きだが、今日はまだ10歳と7歳の娘の作った、カレーとホットケーキを大変おいしく
いただいた。

暖かく、天気もよく、特にそんな何気ない一日だった。

土曜日, 4月 21, 2007

宇多田ヒカルの歌でちょっとおもったこと 音楽って詩も大切だ

曲名もしらないけど、しばらく前までよく
宇多田ヒカルの歌のこの歌詞を色んなところできいた。

「ありがとうといわれると、なんだか切ない」

本当にそうだ。とっても身近に感じている人から
ありがとうといわれると、かえって距離を感じてしまうんじゃないだろうか。
この歌での歌声が切ないからそんな風に想像されるのかもしれないけど。

宇多田ヒカルの昔のプロモーションビデオは何度もみた。
トラベリングの歌自体はそれほど面白くないのに、
ビデオでみると、とても良かった。

バイクに乗れないなあ

今日は良い天気で、休日でバイクに乗ってみたかったけど、
結婚式もあったりしてのれない。

しょうがないから、カバーをちょっとめくって、メッキのフェンダーをちょっとみて、
バイクに乗っているときの感じを妄想してみた。

ああああああバイクはいいんだよな。違う世界が味わえる。
バイクに乗ってると、乗ることに自然に集中して他のこと
考えず、考えられず、オフロードや峠は特に次々に
判断をしていく必要があるから、とっても頭も身体も
スッキリするんだ。

友人の結婚式に参加して乾杯の音頭をとった

久しぶりに結婚式に参加した。
自分の同年代の友人達は30台前半くらいまでにはパラパラ結婚していたけど、
この10年間くらい、自分と同年代の人の結婚式に参加することがなかった。

30代も後半に入ってくるともう独身でいいやって人が多いんだろうか?
それとも自分の友達がたまたまそうなんだろうか?

結婚式は落ち着いた、派手すぎず、地味すぎず、特に新郎新婦の
家族が、しみじみ喜んでいる感じが伝わってくるような。

よいものだった。

隣の席の有望な会社の社長さんとたくさん話した。
パワフルで前向きな勢いを感じさせる社長さんとの会話に
今の自分にこういうものが足りないんだなあと、思った。

前からきいていたけど、花嫁の顔が僕に本当に似ているのは
驚いた。お兄さんみたいだとか、言われて、自分はそんなに
整った顔でもないので、花嫁さんに悪いような気がした。

さらにヨッパになっても何か書けるか試してみる

さらに日本酒を追加して飲んで、もう座ってることもできないで、
寝転がってこれを書いている。

あーあ酔っ払うと気分良いなあ。俺って酔ってないとさあ、
仕事の心配なことばかり思い出しちゃったりさあ、
神経キリキリしてヘロヘロになってパワーも落ちてダメダメに
なっちゃうからさあ、酒必要なんだよな。なんてアル中的だな。

ああダメだ意識薄れてきた。おしまい。

自宅でかなり酔っ払いながらふざけたことと真面目なことを書いてみる

自宅でビールと日本酒を大量飲酒して、かなり酔っ払っている。

こんなとき僕は何をかこう。

ふざけた想定シーン

えらくステキな女の子とホテルに泊まった次の日の午前
居心地のよいカフェーで彼女がトイレにいって戻ってきた。
なんだか嬉しそうな顔でニコニコしながら思わせぶりな表情を
したあとこういうわれる。

「ねえ、XXさん。とてもついているのよ。」

「あの昨晩のこと?」

「それがね、私たった今生理になっちゃったの、これが12時間前
じゃなくて本当にXXさんはついているでしょ。」

「あれ、それと同じ話、俺今まで7回くらいきいているよ。なんでだろ」

「へーー。よっぽどいつも幸運なのね。」

「そう俺は世界一幸運だし、自分のリズムに相手が合わせてくれるんだ。」

なんのこっちゃ。こういうことふざけて書くだけでキモイとか言われそうだけど、
もういいいや酔っ払いだしどうせ読んでいる人あんまりいないし。

ところで、酔っ払うと、心の芯に近いところの思いもでてくるみたいだ。

43歳にもなってさ、やっぱり俺って本当に何を一番したいんだろうと
自問自答し続けてしまう。

今一番やりがいあることってなんだろう。

地球温暖化対策に命をかけること。ウーン、なんか現実的な手ごたえをうまく想像できない。

なんだろう。なんだろう。

夏の間は北海道をバイクで旅し続けること。ああ面白そうだ。社会的意義はないみたいだけど。

綺麗な海でたくさん泳ぐこと。ああ面白そうだね。

でも単純に面白そうだけじゃ、深さがたりないような。

おれは何がほしいんだろう。本当に本音の心の深いところでは。

生まれてから僕にとって一番大きいことは子供が生まれて育って
いることだと感じている。俺ってそんなくらいのもんなのかとも
思うのだけど、それが生物の使命だからそんなものなのかもしれんなあ。

なんだかなあ。

金曜日, 4月 20, 2007

ライブがはねたら

NOKKOの昔の

「ライブがはねたら」

というの歌が好きなのである。

まあ彼女の透明な意志を感じさせるかのような声が好きというのもあるが、
この歌のはじまりの

「今夜のライブが終わったら、待っててねご馳走をつくるから。」

という歌詞を聴くと、ああライブが終わったらとっても疲れているだろうに、
彼のためにご馳走を作ってあげるような健気な女の子の歌なんだと
思ってなんか、この歌が好きなのだ。

火曜日, 4月 17, 2007

完全に深夜の水泳と頼りない練習方法

昨晩はスポーツクラブについたのが、深夜の12時だったが、
さすが午前1時までやっているだけあってまだやっていた。(あたりまえか)

先日このクラブの練習会に出て再認識(前からしっていたけど)して
ハッキリ確信した僕の弱点は、キックだった。

それは前からわかっているのに、不精でやらないままにしていた。
中学校のときから気づいていたから、かれこれもう30年も気づきながら
やらなかったということになる。

でもビート板もって、一人で黙々とキックする気にもなれず。
腰をそってやると腰痛になりそうだし、キックはすぐ息が苦しく
なるので、また脈がおかしくなるのも勘弁してほしい。

それで、苦肉の策として、背泳ぎの姿勢で手を伸ばしてキックをすることとした。
これなら、顔が上向いているから、息はいくらでもできるし、身体もまっすぐを維持できる。

それも、今はそんなに続かないので、25mキックしたら、25mクロールで
往復して、何本もやってみた。

こんなんで速くなるのかは、やってみないとわからないけど、
明らかな欠点を強化すれば、何らかの効果は期待できるのではないかと。

それでスポーツクラブを出たのが午前1時、そこから家かえって、本を読みきって。

朝、目が覚めると、足というか脚がちょっと暖かくて力が入る感じがした。

どこまでも自己流やなあ。

一瞬の風になれ という本

一瞬の風になれ という小説
全3巻を昨晩、夜中の3時に読みきった。

高校の3年間を陸上短距離に熱中した主人公の独白調で話は全部展開していく
3巻である。 独白調がときどき読みにくく追っていきにくいのに
一気に読んだ。

凄く評判の良い本らしい。読んで感動したとか涙が出たという書評をインタネット上で
いくつか読んだ。そういう僕もほとんど一気に読んだ。

文章は今風の高校生言葉でずっと書かれているから、読みにくかったのだが。

陸上競技に熱中し、速くなることをもとめ、友情あり、純情な恋愛あり、良い先生あり、
家族あり、で読ませてくれた。

決して洗練された小説ではないと思いながらこれだけ読んでしまえる理由を考えた。

1.主人公の速くなりたいという夢への気持ちがストレートでそのためにストレートな努力をすること。
2.夢を共有できる仲間がいること。

それを忠実に書いている小説だからなんだろう。人が本当に熱くなれて、夢中になれて、感動できるのは。やっぱりそういうことなんだろ。

夢とそれを共有できる仲間。

俺はどうすればそれがもてるんだろ。今から。まず自分の夢を小さなことでもみつけよう。
仲間は夢が本物ならできるだろ多分。

月曜日, 4月 16, 2007

ただ寝てた。夢をみても身体はグッタリ

日曜の早朝に、数週間ぶり、久しぶりにゴルフ練習場に行ってみた。
このブログにも買いた。凄く飛ばす野球やっていた人をみてから、
いってなかった。

水泳で身体が疲れていたのと、やっぱり自分が頑張っても全く
打てないような凄い球打っている人見て、拍子抜けしてしまったからだ。

早起きして、そっと家を抜け出すつもりが、上の娘にみつかり、
一緒にいきたいというので、久しぶりに一緒に連れて行った。

練習場では身体もかったるく、しばらく練習場にもきてないだけで、
球もほとんど芯に当たらず、全然面白くない。娘も面白くないらしい。
一打席の早朝優待分300球を2人で交替で打ってさっさと帰ってきた。

家では昼からちょっと本読むくらいで、ただただ眠りつづけ、
夜も早寝して、朝も早く起きず、ボンヤリと過ごした。

勝手に過ごさせてくれる家族に感謝する。

身体が疲れているときは長時間眠っていても身体は心地よいのだけど、
頭は必ず、変な夢をみてしまい、かえってまた疲れてしまう。

さらに長時間眠っていると、もう何にもしたくなくなってくる、一段と。

もう仕事なんかしないで、ニート中年にでもなってやろうかとベッドの
心地良いボアシーツの中で思ったりしても、子供にそんなだらしない
姿みせて、子供もそうなったらまずいので、モタモタ起きだす。

髭そって、背広を着ると、かなり気分がしゃっきりしてきた。

また新しい週が始まった。良い週にしようっと。

日曜日, 4月 15, 2007

がばいばあちゃんに学ぶ幸せの知恵袋という本

がばいばあちゃんって人間が本来もっていたい、賢さ、強さ、優しさをもって生きていた人なんだな。
自分の孫に向けていった言葉の立派さだけでなく、その言葉の裏にどれだけ深い愛情を
もって孫を励ましていたかがしのばれた。

「普通でも、十分に幸せじゃないか」

「人間は欲が深いから、幸せになろうとばかりする。
でも、そうせんでも、普通でも十分に幸せじゃないか」

ということもこの人はいっていたそうだ。

他人と自分を比べることだけでなく、人生アップダウンがあるから、
過去の調子の良かったときの自分と今の自分を比べることも
良くないんだな。 普通の生活のありがたさは、戦争経験や入院経験を
すると理解できるのかもしれない。

「人間は死ぬまで夢を持て! その夢がかなわなくても夢だから」

怪我して野球をあきらめざるを得なかった若き日の失意の島田洋七を精一杯励ますために、
ばあちゃんがそのとき いった言葉だそうだ。

これだけ健全な賢さのある深い愛情を注がれた島田洋七の子供時代は
貧乏でも幸せであるだろうし、彼が今またそのばあちゃんの家の
近くに住んでいるのも、そのばあちゃんの尊さを感じているだろなあ。

こういうばあちゃんと2人で小学校、中学校時代を生活できたことは
普通以上のことだと思うけど。

土曜日, 4月 14, 2007

マスターーズ会員登録と深夜の水泳とバーとサイクリングと会食と

入会したばかりのスポーツクラブが自宅からの最寄り駅の
線路の向こう側にさえ行けば大して遠回りにならない場所にある。

しかも夜中の1時までやっている。

それで、仕事の帰り、疲れていて歩くのも、面倒なのについ寄る。

ジャパンマスターズに出ようと思いながら、脈がまだ乱れたりして
マスターズ会員登録自体をまだ、躊躇していた。

そのスポーツクラブでは、マスターズ会員登録やら試合への申し込みも
代行してくれるので、まず会員登録を100歳登録 2万円でした。
毎年払うのだと1500円だけどそれだと、面倒だし、また今年だけですぐ
やめてしまいそうなので。

最近はすっかりウェートトレーニングもしてない意思の弱い俺。

プールで泳いで、そうだ、こないだ書いたマフェトン理論だと
首筋や手首で脈をはかると、なんだかまた怪しげなリズムで
脈が不規則なのだ。前ほど不規則ではないけど。

それで、プールを歩いたり、少し泳いだりとかをして、
こんなんでマスターズでてどうなっちゃうのかなあと思うけどそれでもでたい。

ジャグジーからプールを眺めていると、
50メートルを1分サークルで毎回40秒でもどり
それを10回以上はこなしている女性がいた。

その後も、それと同じくらいの強度の練習をこなしている
女性がいた。

まあ自分はビリでもいいから一定のペースで泳げるよう
やってみよう。

意外なことがわかった。僕は軽い負荷での練習を提唱している
マフェトン理論での脈拍よりも少ない脈拍数で泳いでいたということ。

脈が100以内で泳いでいた。スピード自体はそんなに遅くないから、
僕の泳ぎの効率自体は意外とよいのかもしれない。

またプールを12時ででると、これが、金曜の夜ということもあり、
プールのあとはビールを家以外の場所で無性に飲みたくなるので、
また、今週一度いったバーにちょっとよる。

家に帰って、また本読んだりして、結局3時にねて、
翌朝9時に目が覚めてもまだボンヤリしていた。
でも天気が良くてボンヤリしていることがもったいないけどだるい。

妻は自動車(こないだの修理工場が良い仕事を安くやってくれて自動車は前より綺麗になっていた。
父が30年以上前に頼んでいた工場で、愛車をこんなに綺麗にしてもらって嬉しい)で
買い物に出かけたので、娘2人と自分で自転車3台で、母の家までいってみた。
途中できたばかりのトンネルをとおり、25分くらい。

そんなことが楽しい、下の7歳の娘もその距離を問題なく走れた。

そのあと、妻の友人家族と一緒にサイゼリヤで食事をした。

水泳で激しく泳ぐときと、仕事でイライラしているとき以外は
大体脈は規則正しいこともわかってきた。

金曜日, 4月 13, 2007

他人と自分を比べないためにトキドキ思い出したいこと

他人と自分を比べないとか言いながら、ついつい、比べそうになってしまうことがある。

それで、こんなことをときどき教訓として思い出してみようとしてみる。

自分くらいでも、人に羨まれたり、ねたまれたりしたことがあるんだけど、
そんなとき、思ったんだ

「一体、全体、俺が楽しいだけじゃなくて、キリキリするほど神経つかって苦しんで
いること、奴らはしっているのか?」

そう、その人の気持ちはその人でないとわからないことが多い。
本人ですら、自分の気持ちを良く理解できてないことさえ多いのではないだろうか。

だから、勝手に、社会的成功している人や、金持ちや、凄く自由に生きているように
見える人を羨んでも、その人の心のうちはわからないわけで、
それと比べて、自分を情けないと思うのは愚の骨頂なのだ。

逆に他人の苦労を理解してあげることは大切だと思うけど。

前書いた渋谷の靴磨きのおばさんのところに今朝は、
ホームレスみたいなおじさんが笑顔で近づいてきた。
そのおじさんのが笑顔がその靴磨きのおばさんと一緒で
子供の笑顔みたいに何の屈託もないんだ。

僕は驚いてその表情を見ていた。

彼らこそ、他人と自分を比べないことを自然に、できているんだろうなあ。

そのまわりにはしかめっつらの人がたくさんいた。

陸上競技をやっていた女性と蕎麦屋の親父

泳いでスポーツクラブを出るともう12時だったから、そのまますぐ帰ればいいのだけど、
漂泊する気持ちが抜けずに、今年に入ってから3回いっているバーにまたいった。

カウンターに女性のバーテンがいた。僕が汗かいているのが(泳いだあとの熱気が消えず)
妙だったから

「暑いですか?」

と聞かれ、ついさっきまで泳いでいたことを話すと、

「私は陸上競技を中学校、高校とやっていて、陸上のために水泳も練習したことがあります。」

とのこと、妙に気を使ってくれる、女性バーテンだった。

それと他にもう一人いたお客さんが、常に全国でベストテンからもれたことが
ないという蕎麦屋のオヤジで、蕎麦屋とは、もともとは江戸時代
懐石料理和食のようなものをたべて、酒を飲んで、締めにそばを食べる店のことだった。
自分はその江戸時代の蕎麦屋を忠実に再現しようとして、その空気を蘇らせようと
しているという、話をきいた。

古い文化の中にはきっと良い気分を醸成するための、歴史的に蓄積された手法が
あるのだと思う。その蕎麦屋にもいってみたいとはおもったのだが、ちょっと
オヤジの話は長すぎて、疲れてきたので、適当なところでかえってきた。

スポーツクラブだけでなく、我が家の近くには意外なお店が色々あるのである。

スポーツクラブ入会してプールで一人

家の近所の小さなスポーツクラブに早速入会した。

それで、そのクラブで一番レベルの高い水泳クラスに参加してみた。

男俺だけジャン。

練習時間は1時間、僕は息が上がって、苦しく、ついていって最後まで
やるのがやっとだった。おばさんたちは強い。
マスターズの試合も出ている人達で、最高スピードでは僕のほうが
ハッキリと速いのだが、彼女達は一時間にわたって、まるっきり
練習中のスピードが変わらないのだ。

根性論抜きに、冷静に自分の今の体力、健康レベルを考えると
まだこのレベルでインターバルもいれた練習をしてはいけないと
判断した。

クラス終わるとその方々はほとんどすぐかえってしまった。

そのプールはなんと夜中の1時までやっている。

特に10時からが空くのだそうだ。10時から僕は25メートルプールに
一人きりになって、プールをゆっくり、静かに泳いで、ボンヤリした。

一人は寂しいけど、心地良い。

プールに一人で、自分の動きだけが波を起こしている、
静かにユックリと、なるべく 
波も、泡も、音も たてないように
泳いだ。

それでとても気持ちよく泳げたんだ。

バイクで楽しむ遅れた桜

東京の桜はもう、ほとんど散ってしまいましたが、
僕はまだ楽しみにしている桜がある。

バイクで月夜の晩、陣場山の近くの和田峠まで走ったとき
街灯などない、夜の中に、月明かりに照らされて、
浮かび上がる、とても綺麗だけど、幽霊が出そうな桜を見た
ことがあって、毎年、もう一度あれみたいなと思いながら
それっきりになっている。

今年こそまたみてみたい。

陣場山はそんなに高い山ではないけど、それでも桜は確か
ゴールデンウィークの頃が見頃だったと記憶している。

桜って特別に季節の中の特定の時期、冬と春の境目を
意識させてくれる花だから、それをゴールデンウィークに見ると、
ほんのちょっとだけタイムスリップした気になれて、
ちょっと面白い。
バイクで30分くらいでいける場所で、それを味わえるから。

木曜日, 4月 12, 2007

マフェトン理論と水泳

ヨガの話とも関係していると思っているのだけど、
マフェトン理論というのがある。

非常に簡単に言えば、

「無理しない強度で運動するのが健康によく、それを続ければ
結果的には自分の最高レベルのパフォーマンスも上げられる」

ということらしい。

非常に高いレベルの運動選手はもうこの理論の上にいっているのかもしれないが、
自分の場合は多分これに従うのがよいと思う。

心拍数=180-年齢

くらいを保って運動するということらしい。

またそのくらいで練習するのが多分一番気持ち良いんだな。

この歳になるまで気がつかない俺も遅いんだけど、
気持ちよい、快感である、ということはとても大切で
そういうものがないと、結局は何事も長続きしない。

少なくとも、心から喜んで行い続けることはできない。

稀に変わった趣味の人もいるようだけど、僕は全くのノーマル、ストレートだからな。

仕事も、勉強も、人付き合いも、そういう視点で見直したい。

そんなことは多くの人は自然にやっていることだよね。
僕は頭で考えすぎて自分が楽しいと感じていることを
素直に認めて、それを追いかけることを、ずっと良く理解できなかったという
ことなんだろう。まあいいやこれから変えていこう。そのほうが楽しそうだし。

ところで泳いでいるときは、簡単に脈拍はかれないハズだけどマフェトン理論
実践するには、多分ゆっくり泳いで、自分の気持ちよいペースを維持して、
たまに止まって脈計って(それがまだ不整脈だったりするトホホ)やってくのかな。

ああ結果的には雑な考え。でも大枠はこれでいいはずだからこれでいってみよう。

初体験のヨガで自分の水泳とバイクを思った

先日、MIXIの水泳コミュニティーの人達と東京体育館で一緒に泳ぎ、
その後、なんと初対面なのに6時間も酒飲んで色々話をした。

みんな、純粋な良い感じの人達で水泳という趣味も共通しているので
話が途切れないのであった。

そして、色々、話した中で、自分もどこぞのスポーツクラブに所属するのが
水泳のマスターズ出るにはやっぱりよいみたいだなとわかった。

やっぱり一人でトキドキ泳いでいるだけじゃあねえ。

それで、今まで 何で気づかなかったんだろうという、家の近くの小さな
スポーツクラブも見つけ出し、そこに体験で入ってウロウロしていたら
水泳でなくて、ヨガのコースに誘われて、そのまま初めて一時間半の
ヨガのコースに参加した。参加者は女性が圧倒的に多く、先生は
多分自分の母親くらいの(60代後半くらいの)女性だった。

その先生が、色々僕に話をしてくれて、その中でも一番印象深かったのは

「ヨガは他人と比べるのでなく自分の快、不快、の感覚にしたがって行うものです」

「自分が心地よいと感じるくらいのところまで身体を曲げてポーズをとればよいのです」

というのであった。

ああ、そうか、僕の水泳も、バイクも、他の趣味も、そいういうことを大切にしていけば
いいんだなあと、変に競争したりそういうのでなく、仮に試合にでても、自分の感覚の
中で自分なりに気持ちよく、納得できる、泳ぎができたか。

バイクだって、速いかどうかは関係ない、気持ちよく走れたかだ。

ゴルフだって自分なりに気分良くできればいいじゃないか(コースいってないけど練習場だって)

そして、大げさな話かもしれないけど、人生自体だって、自分が快と感じられて、
自分で納得できて(というかそれに近づけて)、自分なりによいと思えたら
それを誰と比較することもしないで、自分の絶対感覚に従うのが
よいのだと、(なかなか十分にはできないけど)思った。

月曜日, 4月 09, 2007

無心になりたい

ここのところ、落ち込むことが多く、そんなことでボンヤリ過ごしていると
さらに落ち込むので、無心に活動しよう。

今朝はまず、5時半に起きて、早く仕事を開始した。

無心に、やるべきことをやって、早起きして、頭も身体も疲れて
夜は今日は良くやったなあと安らかに眠れればそれでよい
というようにもっていこう。

すぐに自分をムヤミに責める自分の心の傾向を変えていきたい。
そうでないと、活動力が無駄に落ちるだけで、よいことはないから。

ただ、実際に俺もそれなりによくやっているよなあと心からおもえる
結果がどうしても欲しい。

もっと歳に応じた現実性を身につけるべきかもしれないが、
そんなこと考え出すと、また無心から遠のく。

仕事に集中しよう、無心になろう。

金曜日, 4月 06, 2007

キラクに趣味のことばかりといかず

あんまり仕事のことで頭一杯にならずに、

趣味のこと
バイク、ゴルフ、水泳、音楽のこととかを書いていこう
というのが このブログなんだけど、

最近、頭の中に占める仕事の割合が高くなってしまい、
どうしたものかと、思っている。

仕事のことで頭一杯になるときも必要なんだよな。

でも、どうもそのことで頭一杯になっても、きちんと
良い方法を見出せていないで、堂々巡りで無駄に
頭疲れているように思えることが多い。

参ったなあ。

趣味のブログで書くだけでなくて、
自分が仕事で考えていることもメモや文章化して
なんで堂々巡りしているのか、どこに突破口があるのかを
整理してみようと思う。こんな早朝に。

水曜日, 4月 04, 2007

低くて小さくて達成できる目標とファンキーな気分

最近、色々方法を変えて、何とかしようとしている。

1つは低くて、小さくて、きちんと頑張ればまず達成できる目標をいくつもつくって
やっていくこと。そして1つできるために 「よしよし」って自己満足でもして
次の目標を設定すること。

それとそういうことばっかやっていると、それでも変にまっすぐばかりで息詰まる
かもしれんので、パーッとキラクなファンキーな気分でバーっとなんとかならあと
適当な気分で過ごす時間も確保すること。

四六時中マジでマジメール書いていると、疲れるがな。

自分がやる気になれるようなとこまで、自分をうまくのせていけるようにするところまで
なんとかしようとしている。

月曜日, 4月 02, 2007

小さな自動車修理工場の親父から聞いた親父の話

自動車のドアをぶつけて壊してしまい。ディーラーで見積もりとったら、この古い
自動車をそこまで金かけてなおすのももったいないので、
たまたま近所の小さな自動車修理工場にもっていった。

ちょっと親父さんと話して、連絡先書いといてくれと言うから
名前、住所、電話番号と書いていると、

「お父さん、XXやっていた。あのXXさんかい?」

というので、僕は驚いて

「そうですよ。でももう30年以上前に死んでますよ」

というと

「バイクの修理でよくきてくれてたんだよ」

とのこと、そうなんだ。よく30年以上も前のこと覚えていてくれたなあ。
とても嬉しかったので、その工場に頼むことにした。

日曜日, 4月 01, 2007

鈍感力というか達観かな

鈍感力 渡辺 淳一  という本が本屋で平積みになっている。

でも僕は買ってないのだけど、もともと鈍感な俺が鈍感力必要なのかは疑問だ。

ここのとこまた、体調、すぐれず、どうしたもんか、つい考えてしまうのだが、
こういうときはぼんやりしていたほうがいいのかなあ なんて思う。

ここで、あれこれ考えてもしょうがないし、また水泳から遠のくことも悲しいし、
仕事も踏ん張らないといけないのだけど、妙案ないし。

こういうときは鈍感力だか達観だかしらないけど、ぼんやりと今できることを
やっていってあとは天命を待つのがよいのではないかと思うことにした。

今日は、スタッドレスタイヤをノーマルタイヤに交換してもらった。
確かタイヤ交換は無料で対応するときいてその店でタイヤ買ったのだけど、
言われるままに工賃をはらった。これも鈍感力の鍛錬だね。ヤレヤレ。