木曜日, 5月 31, 2007

転職活動中の人と昼飯を食った

仕事で知り合った人が現在転職活動中で、昼飯食べながら話をした。

話聴いてみると、彼は20代にして自分の会社を創業、お父さんの急病によりその会社の
引継ぎ、その会社の清算と随分大変そうなことを経験していることがわかった。

それで、僕は彼がちょっと普通の勤め人にない雰囲気をもっていると感じていたのかもしれない。

その彼をして、当面は勤め人としてやっていくつもりということだから、やっぱり起業は
簡単じゃないと彼も思っているらしい。それでも、彼もいつかはまた起業したいということで
そのときは協力できることあると良いですねという話しで別れた。

よくありそうな話だけど、どこでチャンスが生まれるかわからないので、
自分が良さそうだと思った人は大切にしておきたい。

会社の通帳に記帳したこと

もう長いこと、自分の会社の通帳の記帳なんかしてなかったけど、
今日は自分でした。会社の金の心配をしたくなくて、もうずっと
人任せにしてきて少し反省している。

思えば、通帳の記帳して、残高みて、はらはらしたり、今日みたいに
それなりに入金あって、ほっとしたりを繰り返してきたけど、
本当によく一切金借りずに、ここまで持ってきていると思う。

こういうものには自分の性格でるんだな。

いつも、悪いケースを想定して、それを回避することばかり考える。

そしてそれは、それなりに機能してきた。自分の心配と不安を
アンテナかレーダー代わりのようにして。

でもそれじゃあ、悪夢にうなされながら生きているようなもんで、
悪夢がああ夢でよかったくらいの喜びしかない。

そうじゃなくて、思いっきり良い夢みて、そうなりたいと
思う力を80%くらいもって、

思いっきりこうなりたくないと思う悪夢も同時に20%くらいもって、

自分をドライブしていくくらいが本当は一番熱中できるし楽しいと思う。

それは、常識はずして、自分が素直にほしいものを見つけるのがいいんだろうなあ。

50歳までには、リタイアして、バイク、水泳、旅、ゴルフ、スキー三昧の日々を送れるようになるとか。
ウーン何かイメージしにくいなあ。

仕事があって、趣味があって、やっぱり両方あるから楽しいんだろうなあ。

もうこれからは、趣味にあった仕事を見つけるかなあ。

水曜日, 5月 30, 2007

何故判断力が鈍るのか

判断力が鈍っていて、それをなんとかしたいのだけど、
そもそもなんで、こんなに判断力が鈍っているのか考えてみた。

自分が長く関っている仕事の件については、長年関ることで
変な愛着が色々なところにできてしまい、捨てることに感情的な
抵抗を感じることばかり多くなってしまっている。

でもこの分野の同業で上場までいけた会社は一社もなく、
まるで勝者なき分野でみんなが無理しているようなところだから
僕のように、事業を縮小して借金もしない、投資も受けないというのは、
最も安全は安全なのだ。

ところが、人間は、成長する分野にいないと面白くない。

愛着や執着心が僕の判断力を鈍らせているのは間違いない。

次の一手をもっとドライに考えよう。それしかない。
同じ間違いを繰り返し続けてお終いにできるほど人生は長くもなければ、
粗末にできるものでもないだろうから。

ドライで合理的で、夢をみれることか。

ともかく水泳の試合にでることにした

ジャパンマスターズ水泳大会の 50mと100mの自由形に申し込んだ。
試合は7月中旬だから、もうあと一ヶ月半である。

ところが、こないだ練習でてみたら100mについてはコーチにも
心配されるような状態なのだ。

全然スタミナがない。100mでも試合だと興奮して、前半からつい
速くいってしまうものだから、後半はえらいことになりそうだ。

前半から遅く行き過ぎて、あんまり遅いのもなんだし。

それにしても、家の近所のスポーツクラブは圧倒的に女性のほうが
元気だし、真剣に練習している人が何人かいるし、僕は圧倒されている。

まともに練習する、気力体力もないけどなんかしようということで、
こんなこともやってみた。

25mを壁を思いっきりけって、2回だけドルフィンキックをけってから、
ほとんどキックせずにプルだけでなるべく少ない回数、何かきで泳げるか。

僕の場合は思いっきりうまくいって12回、左6かき 右6かき。

なんとなくこれやると50mくらいまでなら速くなれそうな気がした。
100mどれだけ無様でも今の自分がどんなもんかみてみたい。
練習もしないでいうセリフじゃないな。

火曜日, 5月 29, 2007

松岡農水相もZARDのボーカルも慶応病院だった

昨日、松岡農水相の自殺とZARDのボーカルだった人の事故死だか自殺だかまだわからない死亡事件がニュースで何回も取り上げられていた。
一人はすぐに慶応病院に運び込まれ検死され。
一人は癌で慶応病院に入院中の事故だったとのこと。

僕は去年慶応病院に入院してたから、映像が懐かしかった。

有名人には、特別個室というものがあるとのことで、去年手術入院した王監督も
おそらくZARDの人も特別個室だったのだろう。

大部屋は夜中に隣の人の容態が悪化したりしてよく眠れなかったりということも
あるけど、僕は他の人と話したりして、気がまぎれてよかった。

個室じゃあ余計に気が滅入ってしまうんじゃないかと思う。

でも有名になりすぎると、普通に大部屋というのも入りにくいのかもしれない。

自分の入院中に差し入れてもらった大きなメロンを切ろうとして、
ナイフを借りようとしたら、ナイフは厳密に管理されていて、どうも
いままでナイフで自殺した人もいるんじゃないかと思うくらいだった。

僕個人としては入院中の方がむしろ、生きるんだという気持ちは強かった。
それは自分が、瞬間的にやばかっただけで、そんなに深刻な病気でなかった
せいかもしれないけど。

月曜日, 5月 28, 2007

今日だけをつかもう

心配事、悩み事、不安なこと、ボヤボヤしているとそんなことばかり考えてしまうので、
今日やれることを、やることに意識をできるだけ持っていって、

「今日だけをつかもう」

本当は、大きな目標の元に、毎日やること割り振れるとよいのだけど、
そんなこと何時までも漠然と考えて、何時までもみつからないで、
時間経過すると、実際上も精神衛生上もよくない。

今日だけ頑張って、グッタリして夜は良く寝よう。

本当は毎日そうすりゃいいんだ。

木曜日, 5月 24, 2007

レクサスとうちのガキ

もうしばらく前のことだが、下の娘を自転車に乗せて二人乗りして、上の娘は自分で
走って、高尾駅から、西八王子駅を越えて八王子駅まで走って、飯食ってから
また西八王子方面に走っていたら(何やってんだか)、甲州街道(国道20号線沿い)に
レクサス八王子店があった。

それで、自転車を降りて覗き込んだ。

上の娘
「ネェネェ パパ、この車いくらするの」

「600万円くらいかな」
上の娘
「ヤダー、 ○○(自分の名前)ちゃんなら絶対買わない」

「でもスピードでて、力もあって乗り心地もいいんだよキッと」
上の娘
「ってことは、環境によくない車なんだねええええ (声が大きい)」

下の娘は興味なさそげに、そこにいる。

レクサスの店員は心なしか 冷ややかな目線で、僕たち、貧乏そうな親子を見ている。


「おまえは今から環境問題そんなに考えているのか?」
上の娘
「うん、大人になって地球が住めなくなるとこまるから、学校のね、凄く馬鹿な男の子がね、
二酸化炭素が地球温暖化の原因だから、これからみんな息を吐いちゃいけないとか
急に言ってたんだよ」

下の娘、レクサスのボンネットに手の平をおいて、指紋をつけてる。


「さあそろそろ帰るか、自転車で、環境にいいぞ」

トヨタさんごめんなさい。

やっとこさっとこの日々

自分は2つの仕事をやって、どっちかの仕事がだめになってもなんとかなるさと
少しはキラクにやれるかとおもったら、全然違う。

基本的に2つの重荷を同時に背負ったような気分になってしまう。

両方ともあんまりうまくいってないからというのも大きいだろうが。

先が見えないなかで、短期的に仕事をつなぐことばかりに
神経使ってると、またバイク、水泳、音楽、とかないと、もう
気持ちがめげちゃうんだよね。

気持ちがめげなければ、仕事はもうだめになってもしょうがないと
割り切って進めたほうがよいのかとも思ってきた。

水曜日, 5月 23, 2007

アンパンマンの生きる喜びと自殺

5歳くらいまでの子供はアンパンマンが大好きだ。
あのキャラクターがその年代の子供にはとても面白くわかりやすいのだとおもう。

そして、テーマソングの歌詞は

「そーだ嬉しいんだ 生きる喜び、例え胸の傷が痛んでも」

である。そのくらいの子供は自由にさせてあげさえすれば、
もう楽しくてしょうがないというふうに遊んでいる。

自分の子供もそうだったので、僕は、勉強よりもなによりも、
子供達が生きる喜びを感じ続けてほしいと、それをなにより願っている。

うちの子供たちはどうも勉強はかなりできないようなのだけど、
勉強できて生きていているのがつらい子供より、
勉強できなくても、生きているのが楽しい子供のほうが、
私にはずっと良い。当たり前のことだ。

まあ勉強できて、かつ生きているのがたのしければそれも
よいのだろうけど、ないものねだりしてもしょうがないから。

さて、日本は毎年自殺者が3万人を超えている。
実際に自殺する人がそれだけいるということは、
生きているのがつらくて苦しんでいる人はどれだけいることだろう。

昔、「自殺者の世紀」 という本をよんだことがある。

自殺した有名人を100人くらいまとめて、書いたものだけど、
そのあとがきの一説が妙に頭に残っている。

「世の中に死にたい人はいない。」

死にたくないのに、もう生きているのがつらくて死にたくてしょうがなくなって
しまう、それが自殺というものだとその著者はいいたかったらしい。

生きる喜びはどういうときに感じられ、
どういう生活していると生きているのがつらくなるかを よく考える。

人は自由にやりたいことをやっているときには、生きる喜びを感じられるのだと思う。

子供が生きる喜びを感じ続けてほしいだけでなく、自分も生きる喜びを自然に
感じられるような生き方をしたい。

そのためには、自分の心の中からの素直な心で、自分のやりたいことを見極めて
生きていくのが大切だと思っている。

そいういことが今まで良くわからなかった。妻も子供も僕の扶養家族だし、
責任重大だとか思っていたけど、そのためにやりたくない仕事に追われて
生きる喜びが感じられないほどになったら、そんなんじゃ家族も幸せじゃ
ないだろうし。

自分の視点や視野を広げて、違う展開を見出して、楽しくやりたい。

火曜日, 5月 22, 2007

深夜水泳と翌朝の気分

その家の近所の深夜1時までやっているプールがあるおかげで、
ちょっと酒のんだり、付き合いで帰り遅くなったときにも、フラッと
よって、夜中の12時から泳いだりしている。

昨晩も泳いだ。

そのスイミングクラブのコーチがえらくハードな練習をしていた。

現役時代は日本選手権だかもでている選手だったということで、
しかもまだ若い。

オープンウォーター10Kmの大会での優勝をめざしているとのこと。

そこいくと俺は、ユックリやってる。泳いだ後は、気分が良くて、
その後ビールでも飲んだらさらにハッピー。
翌日の朝までまだ身体がジーンといい感じ。

でも、仕事の問題はなにも解決してない。

うーん、それでも、気分良いほうが、解決に近づけるだろう。
深刻になり過ぎないようにしないと。

月曜日, 5月 21, 2007

娘と川遊び

 昨日は上の娘と鍾乳洞行って、そのあと、その近くの川で遊んだ。おたまじゃくしがいて、釣りをしている人がいて、娘の拾ってきた平べったい石で水切りやって。

川に沿って涼しい風が流れていて、その風にはホッとさせてくれるような空気が入っているみたいで、楽しかった。

木曜日, 5月 17, 2007

娘にいつの間にか甘えさせてもらっている

家でウトウトしているとき、ふと気がつくと、下の娘(7歳)が私の頭を
とても優しく、優しく、撫でていて、ハッと驚いたことが何回かある。

多分、あの感じでは、僕がグッスリ寝ていて気がつかないときも
何回かはそうしているんだろう。

その撫でかたが、優しくて、気持ちよくて、どうしてそうしてくれるのか
わからないけど、その撫で方は赤ちゃんの頭を撫でているのと
同じような感じなんだと思う。

昨日の朝と、今朝は、僕も妻も寝坊している間に、
上の娘(10歳)が、ご飯をよそったり、スープを用意したり、
りんごを剥いたり、夏みかんを剥いたりして、

「さあ、パパもう起きて、起きなさい」
 
と優しく、優しく耳元で言われて起きた。

親はダメでも子は育つ。

そういうものらしい。

水曜日, 5月 16, 2007

新しいオフィスから思うこと

僕が手伝っている会社が高いビルに入っているのだけど、
これが、もう一坪当たり6万円、毎月かかるのだ。

しかも、すぐに会社はじめられるように、机やインターネット回線も用意して
ある部屋だと、その2倍から3倍かかる。

おそらく、六本木ヒルズも六本木ミッドタウンももっと高いんだろうな。

あほらし。それで、外人説得して、僕のところとオフィス共有することにした。

僕は自分の会社をそんなところにおく余裕は全くないのだが、
金があっても、いかない。

今度引っ越してきたところは快適で、居心地よくて(眠ってしまうが)
安くて、オーナーさんがもう商売っ気ない70代の人の良い老夫婦なので
とてもよい。

しかも便利な場所で最寄駅まで一分、新宿駅までだって、歩いてそんなにかからない。

近所には、うまく、安くて、個性的で、親切で、頑張っている小さなレストランとか
ラーメン屋さんがいくつもあって、とてもよい。僕たちと一緒で小さな頑張る会社が
たくさんあるということで、共感して嬉しくなる。

同じビルには、会計士事務所がたくさん入っている。

ここで、次の一手を見出そう。見いだせなくて、明け方うなされて目が覚めることを
繰り返しているけど、あきらめないで、頭を堂々巡りばかりさせないようにして。

それでも、見栄張って高い場所とかに金使わないだけ、無駄な経費がなくなって、
しかも長くいられそうな場所で、1つ気持ちがラクになった。

なんだか、自分の家が二つになったような感覚だ。

そして、これを、もの選びの良い教訓としよう。

見得に金をつかわないこと。
本当に役に立つかで判断すること。
粘り強くあきらめないでさがすこと。
自分の好みを大切にすること。

そんなところかな、当たり前といえば当たり前のことだけど
ときにそれができなくなることは多いから。

月曜日, 5月 14, 2007

母の日の前日に母の話をきいたこと

土曜にバイクで走って、家の近くまでもどってきたら、家に帰っても
どうせ一人だし、ときどき母に会ってないとちょっと心配なので
実家に急にバイクでそのままいってみた。
それで結局また、母に料理を食わせてもらった。

誰でもお袋の味は特別だとはおもうが、自分の母親の場合、
ともかく料理にとてもマメで、何時言っても、それなりのおいしい料理を
だしてくれる。

昨日は、

庭でとれたスナックエンドウを軽くゆでて、マヨネーズをつけたもの
(野菜の甘みが素晴らしくおいしい)

チーズを豚肉で巻いて脂で揚げたもの

秋刀魚と鯖

野菜の炒め物(桜海老をいれてあった風味が良い)

などをたべて、4歳の甥っ子もいたので、ちょっと遊んだ。
愛想を振りまき続け、色々しゃべるようになっていた。

「みんなで食べるとおいしいねえ」

と何回も言っていた。

それから、母の話を聴き 適当に相槌をうち、正直話面白くはないのだけど、
一人暮らしだし色々話たいのだろうと、我慢して聞いていた。

非常に、というかかなり厳しい母だったので、親子喧嘩も
随分したが、今となれば、もう懐かしいようなもんである。

自分がこの歳になってあらためて思うのだが、母親は有難い。
それと一緒に、母親が自分の性格に与えている影響は大きい。

母にしかられ、怒られた記憶は数多いが、褒められた記憶はない。
例えばクラスで一番の成績をとったときそれを見せたら

「それは たまたまできないクラスにいるだけで、そんなことでいい気になってはいけない」

と逆にしかられて、がっかりした記憶がある。

実際、不良が寄せ集められて、暴力の絶えない凄いクラスだった。

「お前一人でいい子ぶってないで、シンナー吸えよ」

といわれて、数人に押さえつけられて無理矢理吸わされそうになったこともあったので、
こっちも全力で喧嘩せざるをえないのだけど、それでも怪我しなかったなあ。

そんなことも、あるいは生まれつきの性格もあってか、僕は自分の良い部分を
認めるのが下手な人間になった。実際あまり良い所がないようにも思うのだが、
本当にそうだとしても、自分の欠点ばかり気にしていたら、楽しくいきられないもんね。

そんなわけで、今でも、自分の長所を見出してそれを伸ばしていきたいという気持ちと
母と反対で、やたらに褒めるのが上手だった父に褒められたもの (水泳とか)が
心の糧となっている。

父にできなかった分の親孝行まで母にしたいものです。

日曜日, 5月 13, 2007

バイクも水泳もゆっくりと ゴルフは練習場にもいけず 音楽からも遠のいたまま

木曜夜に、スポーツクラブの一番レベルの高い水泳練習に参加した。

スカーリング(これがうまくできるとより効率的に泳げるようになるということらしい)、
背泳ぎ(背泳ぎ早くなると必ずクロールも速くなるんだそうだ)、

50m 50秒サークルでのインターバルを6本やったあと
200m全力というメニューで

200mは免除してもらった。インターバルは5本が41秒で、一本だけ44秒で泳いでいた。

他にも何種類か練習があったけど、どうもこれを根性でこなそうとすると
僕の心臓の動きがまた不安定な感じでよくない。

もっと一歩一歩やっていかなくては。

練習に参加している中で一番早い人は、その練習の中のインターバル
直後の200mを2分30秒で泳いでいた。
ハワイのアイアンマンにも参加しているトライアスリートということだった。

僕はこういう指導を受けたことがないので、こういう教え方をするものなのかと
感心するところがいくつかあった。

でも、ともかくまだ身体も回復過程なので、無理をしてはいけないと、
何度も自分にいいきかせている。
いくら凄いスポーツマンでもトライアスリートよりハッキリ遅いのは、
なんとかしたいのだけど、僕はゆっくりやっていくしかない。
自分の身体の声を聴きながら。

今日(土曜)は疲れていて、昼過ぎまでぼやぼやして、漸く3時にバイクにのって
走りだしたが、その途端に、バイクで走る喜びが全身に、特に頭にジーンと感じられてきた。

軽い頭痛と、頭の重い感じ、軽い憂鬱感、かったるい感じ、灰色っぽい思考が、
バイクで頭は軽くなり、頭痛はなくなり、心はウキウキしだし、思考は急にカラフルになったまま
緑の山の中に入っていった。バイクは僕にとって、どうしても大切にしたいものだ。

明日は日曜だけど仕事の用事がはいったので、ゴルフ練習にはまたいけない。

妻が友人の家まで子供を連れて2泊で出かけていて、僕は一人で、ボンヤリと
一人暮らし時代を思い出すような、時間を過ごしている。一人だと、自分の中で
話をしている感じだ。

水曜日, 5月 09, 2007

右側呼吸ばかりの自分のクロールが自分の結婚を決めたこと

「風が吹けば桶屋が儲かる」 あるいは 「バラフライ効果」
のような話に聞こえてしまうだろうけど、これは実話は実話です。

僕は何故かはわからないのだけど、クロールで右側呼吸したときのほうが、
左呼吸したときよりはるかに安定しているんですね。

さらに、本気で泳ぐときほど、右側呼吸の方がパワーが出せる。
計ったことはないけど、右側呼吸と左側呼吸では、僕のクロールでは
ハッキリとタイムが違うことは間違いない。

それで、20代後半にマスターズに出場しているときは、クロールの練習の
全てを、右側呼吸でやっていた。

そして左側の腰を痛めた。

コーチを持たない悲しさで当時はわからなかったけど、右側呼吸で懸命に練習すると
僕は、ストロークのある瞬間に、左足のアップキックを強く打ってタイミングを取る
癖があることがわかった。キックが左腰を痛める原因だと、自覚した。

でも当時は良くわからないで、左半身のストレッチをやたらに自己流でやってごまかそうとしていた。

それで、自己流の変なストレッチで、左の膝の靭帯をかなり伸ばしてしまったらしい。

それで、会社の行事のバレーボールで、膝をひねって、左ひざ十字靭帯断裂となり。
さらにその手術で失敗して、3ヶ月間近くの入院となり。

そのとき面倒見ていてくれた女性と結婚することとなり。

それまで技術職だったけど、会社での立場もなくなり(元からなかったかもしれんが)
他の仕事に挑戦することなり。

さらには、水泳自体も余りやらなくなってしまった。

ガビーーーーーーーーン。

実際はそれ以上に偉くショッキングなことがこの一連のことでおきて
ノックダウン気味だった。

その原因、きっかけ、始まりは、僕のクロールが右側でしか呼吸できないことだった。

って無理があるか。でもねえ。

ゴールデンウィークで引越しその他あり、2週間ほど泳いでなかったけど、
昨晩、また例の空いている夜中の1時までやっているプールで、
右側呼吸と左側呼吸で何でこんなに違うのが、繰り返し試してみた。

何回やっても、左側呼吸で、スピードを上げていくとバタついてきてしまい、
右側呼吸より効率が悪い。

右利きだから、左右の腕力が違うせいではないかと考え、右の力を抜いて
左を全力で泳ぐとか、左右の動きの違いを一つ一つチェックしていったけど、
やっぱり左呼吸はしっくりこない。

左呼吸だと、何かがしっくりこない。原因がわからない。

しっくりこないと感じるのが何かをまた考えていくと、頭の位置が左呼吸だとわずかに高く、
立ち気味らしく、上下動が大きくなる。

右側呼吸では、利き腕である右腕の動きで全身リズムを取っているのに、
左側呼吸になると、意識が左腕に移ってしまい、左腕が右腕より不器用であるのと
同じように僕の泳ぎが不器用になる。

だから、まずは、左腕に意識を集中して、左腕を丁寧に動かすようにしてみた。
少しはよくなったのだけど、やはりまだバタつくし、疲れてくると、左の丁寧な
動きを維持できない。右側なら疲れてきてもかなりのところまでストロークを
維持できるのに。

おかしい。どうすればよいのか、これは僕はどうしても解決しないといけないことなんだ。
左右対称に近づいて、身体への負担を減らしてより気持ちよく泳ぐために。

静かなプールで、静かな心で、自分の感覚を研ぎ澄まして、身体のそれぞれの
部分部分に順番に意識を移していって、左側の泳ぎを確かめてみる。

ある部分で急に左側呼吸でもスムーズに進むようになった。

その部分とは意外なことに右手の先で、そこの意識を抜かずに
入水前後を丁寧にやれば、急に右側呼吸と同じようにクロールを
泳げるようになってきた。(まだ少ししか試せてないけど)

結論

左側呼吸で自分がクロールをうまく泳げなかった最大の原因

左側呼吸になると、無意識に右腕の動作が特に入水時に雑になりキャッチまでに
変な力の入り方をしていること。

2番目の原因

左側呼吸だと必要以上に呼吸のために頭のポジションと高くしてしまっている。
さらに、頭を水平にしてバタフライでの前にのめりこむような動作ができなくなっている。
だから伸びてなかった。

夜中の12時のプールで、急に自分の左側呼吸が進歩した。

やったぜ見てくれたか父ちゃん(解説省く)。

このことに20代後半で気がついていたら、腰も壊さず僕の人生は違っていたかもしれない。
でもいいんだ今は今でそれなりに幸福だしね。

日曜日, 5月 06, 2007

バーベキューと長時間の会話とビール5缶と銭湯と刺青

またその妻の友人家族とバーベキューをやりビールを飲みその後、そこの旦那さんと銭湯に行き、サウナと電気風呂(これは電気でビリビリしてビックリした)を楽しんだ。

銭湯には刺青の人も何人もきていて、若い衆が背中一面刺青の親分だが兄貴分の面倒を ドアの開け閉め一つまでみていた。

サウナのあとはまたビールをのんで、色々な話をした。その人も40代だけど、男40代も僕だけでなくなかなか責任の重い大変な時期なんだなあと。

僕と違ってすごく気を使ってくれる人で、僕はボンヤリしていたけど、気持ちよくすごさせてもらった。

ゴルフ練習場で少しずつ振ってみる

5月5日は前日遅くまで飲んでいたのだが、疲れもかなり抜けてきたようで、
朝早くから目が覚めた。それで、久しぶりにゴルフ練習場の早朝優待にいった。

まずは、サンドウェッジからちょっとずつ、小さなスイングで打ってみたけど、
それでもなかなか芯にあたらない。ゴルフというのは練習しないと、きっちり
だめになるなあ。

それでも、天気が良く、早朝の空気も気持ちよく、その練習場はネットの向こうの
木々の緑がとてもきれいで、多摩御陵の昭和天皇の墓を思い出すくらいだったので、
それをボンヤリ眺めて、気を取り直して、少しずつ、感触を確かめるように打っていく。

少しずつ芯に近いところにあたるようになり、打感がよくなってきた。

隣の打席の前から知り合いの人と話したりして。

5番ウッドはちゃんと当たると250ヤードと表示されているところまで飛んだ。
ドライバーはいきなりネットの上段まで飛んでいった。

気温が上がると、空気抵抗が減るようで、飛距離が伸びる。

その後また短いクラブを打つとなぜかさっきより芯に当たる。

まあ、疲れが抜けると、ゴルフ練習場も楽しめるんだなあとわかった。
ゴルフくらい年取った多くの大人が夢中になっているスポーツはないだろうから、
やっぱり面白いんだよなあ。

バイクでいつものコースを走って新しい季節を感じる

5月4日は急に暑くなってきた。

いつものバイク周回コースは途中で休まなければ2時間半で走れる。

6時には壊れたパソコンを業者が引き取りにくる(これは自分のノートPC
VPN設定されているので、これが壊れると非常に困る。だからこれは妻の
PCで書いている)

2時過ぎにバイクで家を出た。

いつもの道があっちこっち自動車で渋滞していた。

こんな細い、すれ違える場所も少ないような山道にたくさんの自動車が
何十台も詰まっているのを、すり抜けしてきた。

山の北側、南側、風邪の通り道、暖かい(熱い)空気のたまっている場所。
バイクで走ると、そういうものの差を感じ取れて、嬉しい。

バイクはほとんどを50km以下のゆっくりしたスピードで走った。
ゆっくり走るのが楽しい。エンジンの鼓動を楽しめるバイクだし、
自分もゆっくりと辺りの風景を感じながら走るのが楽しい。

大垂水峠のてっぺんの湧き水ラーメンでお汁粉を食べて、
自宅に戻ってた。

6時には予定とおり、家にかえると、PCの引き取り業者が
きた。

それから、妻の友人の家にいき、豚しゃぶを食べ、
ビールを飲み、山崎12年(このウィスキーは香りがなんとも良い)を
のみ、旦那さんとたくさん話をした。

疲れているときには元気になるまで眠ろう

ゴールデンウィーク前半の引越しでかなり疲れたようで、
長時間ぐっすり眠った。疲れているときには、何もする気に
なれず、そういうときに考えごとしたり、無理に何かしようとすると、
ロクなことないのである。

それで、2日間ほど長時間眠ってちょっと散歩したりしていたら、
また元気になってきた。

義理の父が遊びにきたので、娘二人も一緒に4人で、多摩御陵まで
散歩してきた。

昭和天皇のお墓の前に立って墓の背後の木々を眺めると、
何種類もの木々が折り重なるように配置されていて、
その全体の醸し出す雰囲気がなんとも美しい。

ぐったりしている心が蘇ってくる感じがした。

バイクで山の中にいっても何度も感じたけど、
杉ばかりが植林された山より、何種類もの木がある山、
特に広葉樹の山は美しい。

なんでそれを美しいと感じるのかの理由はわからないけど、
なんとも心に沁みるように美しかった。

玉砂利の山道を歩くのも足の裏にも下肢全体にも
心地よい刺激を与えてくれる。

玉砂利から、アスファルトの上になると、足にジーンと玉砂利の
感覚が残っていた。

散歩途中の道では隣町の町会の人たちが、
焼そば、焼鳥、フランクフルト、ビール、その他を売っていた。
中国の人が餃子と、餃子の具を入れたお好み焼みたいな食べ物を売っていた。

それをそれぞれ、ちょっとずつ買ってきて、いくつかは家までもってきて妻も食べた。

義父は5歳のときに多摩御陵に来たことを話していた。義父はもうすぐ70歳になるから
65年も前のことをよく覚えていることになる。

そしてそのあと、またたくさん眠った。

水曜日, 5月 02, 2007

会社の引越し作業が進んでいくらかホッと

昨年、私が入院中にある人が見舞いにきてくれて私の会社の移転先にある場所を勧められた。
いわく電源設備がとてもよく停電しない。これはサーバーをもっていかなくてはいけない 僕には殺し文句だった。
それに、実際に死にかけた僕のところに見舞いにまできてくれる
くらいの人だから、その言葉にウソはないだろうと判断した。

結果は最悪だった。電源はわずか500wしか使えず、それをこえるとブレーカーが
あがり、しかもビルの古い全体の電源設備を増強しないと、それは変えることができない
ということで、自分の会社は大半のサーバーの電源を入れることすらできなくなってしまい。
ニッチもサッチもいかなくなった。

しかも退院一ヵ月後の引越し作業もかなりまいった。

どうしてこう俺は騙されやすい大馬鹿野郎なんだろうと嘆きたくもなったが、
嘆いていたもどうにもならないから、早くも次の移転先を見つけて、仕事の終わった後、
不動産屋をいくつもまわった。

そして漸くみつけたのが、新宿区の便利な場所にあり、家賃も安く、大きい窓もあって
部屋も明るく、よさそうな部屋だった。

そして、そのひどすぎる場所
(それでも意外にしられたインキュベーション施設だから恐ろしいことだ、
インキュベーションとは孵化させるという意味らしいからそれと逆なのに)
から、新しい場所まで、自分の自動車を計5回半かな往復させて
身内に手伝ってもらって自分でものを運んで引越し作業を行った。
4日間連続で午前3時くらいまでは起きていることとなった。

自分の失敗をよく知るためにも業者に頼みなくなかったし、
もう荷物も減ってきていた。サーバーとPCを計15台も捨てざるを得なかった。

なんかこの空しい作業で、何度もイヤになったのだけど、カミさんは坦々と
作業を進めてくれるし、自分もやらないわけにはいかない。

義理の弟にも半日手伝ってもらい、新オフィスでは、インターネット回線も
新しくひいて、サーバーも70%くらいは立ち上がってきた。

新しいオフィスで一緒にやるはずだった会社は急に業績悪化したそうで、
取り止めとなり、敷金礼金等も全部自分の負担となってしまったが、
完全に自分達の場所となったことが嬉しい。

そうこうするうちに、自分が勤めているほうの会社が日本の拠点を
そこにもってきたいというので、そっちからも家賃をもらえることになった。

冴えない状態は続いているけど、もう無理だと思いながらどこまでも
続いていくのである。このままでは面白くないけど。

会社が借金してないから、つぶす理由がないとも会計士さんにいわれて
なんか苦しいけどそういうものかと、続くのである。

新しいとこで、新しい計画作って楽しくしてやりたいなあ。

そんなわけで、しばらく、いとしの、バイク、水泳、ゴルフ、音楽からバイバイしていた。

引越しで忙しくしていると、また心臓の鼓動が不規則になって、
ちょっと心配だったり、逆に生きていることを実感させられたりした。

今の僕がいうと負け惜しみみたいな響きもあるけど、
僕は別に大企業の経営者も死ぬほど健康体の人にも憧れているわけじゃないんだ。

自分の今の状況を楽しみたい。