月曜日, 1月 28, 2008

金なんてとゲームのポイントのようなものかもしれない

土曜日にいわゆるデイトレを行っている若い人達(俺だけ若くないけど)総勢18人で酒をのんだ。
大儲けした若者から大損してショックで身体壊して仕事も失ったとかいっている人まで、
安い居酒屋(僕は好き)で話し込んだ。

丁度興味のある分野だったので、そういう人たちに会ってみたかった。

デイトレで買っている人達はゲームとか賭け事に強い人が多いそうだ。

それにしても、ゲーム好きは多いようで、要はゲームでポイント稼ぐ様に
現実の金も稼いでしまうらしい。

しかも、稼いでも使いたいこともないらしい。

金を使いたいことないの? ときいてみたら。

僕達根暗が多いので、あんまり使うこと考えないです。

というんだよねええ。 それで、普通の人の生涯賃金より稼いでしまっているのだから、
一体全体。

しかも、みんななかなか良い感じの人たちで、礼儀も正しく、
自分で自分の必要な金は稼ぐんだという気概があふれているようだった。

そういう俺はあまり稼いだことがないのだ。でも卑屈にならないようにしないとね。

こんなん見つけちゃいました。

一度見たら、頭から離れなくたってしまった。でもイヤじゃない。

「変わるわよー」

http://www.youtube.com/watch?v=zmtkm4DeBso&feature=related

月曜日, 1月 21, 2008

学生時代の奴らとのスキー

18、19、20と泊りがけで、スキーにいってきた。
もう20年以上前に卒業した大学の奴らが7人集まった。

ただ、同じ学科にいたというだけで、同じサークルでも
同じ研究室でもなんでもないのに、集まれるのである。

18日の夜にあつまって、現地についたら、
宿で、4時半まで話が続いてしまい。

睡眠不足と二日酔いでスキーをすることとなった。

みんな他愛もない話で、笑いたいのであって、
それぞれの個人的な話とか、深刻な話とかは一切しなかった。

やってることの馬鹿騒ぎは、いい年してガキっぽいのだけど、
みんなそれぞれ色々あるだろうに、湿っぽい話はしないで
盛り上がろうとするところが、みんな大人だなあと思うのだった。

スキーは、一日終わるくらいには、僕も漸く少しは、馴れて
楽しめた。

バイク好きの集団に朝にあったこと

最近ブログかいてなかったのでちょっと前の成人式の朝のこと

また朝からうなされ気味に(ヤダねこういう性格)目が覚めて、
ベッドの中にいてもしょうがないし、家族も寝ているし、
自分で朝飯つくる気にもならないし、ともかく、すぐに気分転換したいし、

それで、パジャマ代わりのヨレヨレトレーナーのまま上にダウンをきて
外に飛び出して、散歩した。

自宅の裏の方にある、川沿いのサイクリング道路を歩いていく、
朝の空気が気持ちよい、散歩くらいでも身体動かすと気持ちよい。

そのまま歩いていくと、多摩御陵へ続く欅並木沿いに、バイクがたくさん止まっている。
昔のバイクで、良くメンテナンスされて、磨きこまれているバイクが多かった。
全部で70台くらい。

自分はバイクとまったく関係ないヨレヨレのカッコだったけど、
興味を引かれてしょうがなかったので、その人たちに話かけると、
結構フレンドリーに色々教えてくれた。

インターネット等を通じて集まった人が多い、主に三多摩地区の
昔のバイクにのる集まりだそうだ。

いくら良くメンテナンスしても、オイル漏れとかはしょうがないようで、
ペットボトルにエンジンオイル入れて、泊ると、コンビニでかった、
肉まんの袋を、ジョウゴかわりにして、オイルをたしていた。

BSAの50年前の単気筒レーサーモデルも3台あって、
これはプラグがすぐすすだらけになってしまうそうで、
予備プラグを交換していた。

全然古いバイクではないのだけど、モトグッチの綺麗なバイクで
きている30歳くらいの女性もいた。その人も、こんなカッコしている、
俺にも結構話しててくれた。

あと、ヤマハの2サイクルエンジンをヨーロッパのフレームに乗っけている
バイクとか。

こんな寒い中、みんなここに集まって、バイクが好きだということが
とても強くつたわってくる。そういう人達の集団に、やはりバイク好きの
自分が接するとそれだけで、なんか、居心地が良くて、気持ちよいのだった。

そのあと昼くらいから、自分も寒さにまけずにいつものコースをバイクで走った。
トレーナーの上からジーパンはいて、下半身2重にした分なんとかまえよりは冷えなかった。

そして夕方から、新宿出てきて、最近、日本にいる時間少ない相棒(というか上司か)と
韓国料理屋で、サムギョプサ、ビール、冷麺、チヂミを食べて飲んだ。

結局、この日は朝のあの古いバイクをこよなく愛する集団のおかげて、
一日、良い感じだった。

酒飲んで帰るところで新宿駅の構内で、相棒(とは思われてないかもしれないけど)が
成人式の晴れ着姿をみて、説明を求めるので、また下手な英語で説明すると、

「ということは、あの女性達はみんな20歳なのか? ちょっとついていこうか?」

と半分マジで、半分笑った目で言っていた。元気だなあ。

土曜日, 1月 12, 2008

6年前から知っている人と初めて一対一で酒飲んで

若くしてベンチャーキャピタルで活躍していた人と2人で酒を飲んだ。

ここ数年はいくつかのベンチャー企業を顧問や取締役として
手伝っていることもきいていた。

彼の知り合いが経営している渋谷の沖縄料理店の料理もうまく、
酒も進み、話も楽しかった。

なぜか、キレイな女性が女性同士のグループでのみにきているのが目に付いた。

昔の楽しかった話をしているだけでも楽しいのだけど、
もちろんこれからこうすれば楽しくなるということを
話せればもっと楽しい。

でも、なかなかそういうことは思い浮かばないのだった。

話をして、もっと早く彼と酒のんでいれば良かったと思った。
自分からもっと積極的に人に会っていこう。

金曜日, 1月 11, 2008

金余りについて

会社を経営する立場であったときに、金融機関の人と話をして驚いたことがある。

それまで僕は少しの貯金を銀行に預けるとか、住宅ローンを借りるとか
ということくらいでしか金融機関とは付き合いがなかった。

ところが、違う立場で金融機関の人とあってみると、銀行がまるで違ったものに見えた。

彼らは、お金を貸したくてしょうがないのだ。それも、あまりお金を借りたがらないような
経営している会社とかに。

また不景気といわれているようなときほど、実は金融機関にはお金が余ってしょうがないらしい。

不景気では、本当にお金のない人もいるだろうけど、それよりお金のある人も先行きを
心配してそれを使わず銀行に預ける。

本当にお金がないというより、お金が世の中を回らなくなるのが不景気というものなのかもしれない。

銀行の立場で考えれば、お金を預けてもらうということは借金をしているのと同じことだ。
早くその借金の利率よりも高い利率で他に貸し付けないと損がでてしてしまう。
でも不景気だと貸し出す先がなかなかない。

バブルの頃とかもう土地さえ担保にとれれば貸したもの勝ちみたいな感覚だったのではないだろうか。

年末に久しぶりにあった友人と話していて 

「買いたいものがない。」

と言っていた。僕もそうだし、今の日本には買いたいものあまりない人多いんじゃないだろうか。
自動車も売れなくなってきているというし。

そして、お金があまる。

そして、人が金融機関に預けたものが
より有利な運用先をもとめて、必死で動き出す。

米国のサブプライムローン問題の記事を読んで、
なんてモラルの低いことやっているんだろうと単純に思ったけど、
おそらくその根底には、そういうことでもやらないと、資金を投入する先がないから
住宅の証券化ということで無理矢理にそこそこ利率のつくものを作りださざるを
得ないような強い圧力が自然にかかってきたのではないかともとれる。

(だからそれでよいというわけではもちろんないが)

皮肉なことにサブプライムローン問題で、消費が停滞すると、
さらにお金は余って、もって行き場がなくなってきて、
それで最近は金の値段が上がり続けている。

多くの人が、自分のお金をつかって、自分の欲しい物を買うよりも、
自分のお金を増やそうとすると、またまた一段と金は余ってくる。

それがいわゆる過剰流動性とかいう奴になって、経済を不安定にする。

物やサービスの提供と消費という実体経済で動くお金より
そのお金自体をもっと増やしたいということのために動くお金のほうが多くなったら
そりゃシステムは不安定になる。

でも、その根底にあるのは、

「お金を使って欲しいものは特にないけど、
お金がなくなるのは心配だからお金を増やしたい」

という気持ちを多くの人がもっているということなのではないだろうか。

新興国の経済が成長しているのは、自動車、洗濯機、テレビとか
そういう具体的な欲しい物があって、まだそれをもってない人が
たくさんいるということが大きいのではないだろうか。

なんて知ったようなこと書いて、自分にはこれから先が全然わからない。

でも、金で買えないものを心が欲しがっているということだけは
喉が渇いたときに水が欲しいように強く感じているんだ。

初泳ぎ

今年初めて泳いだ。(本当に泳がなくなったなあ)

千駄ヶ谷の東京体育館50m室内プール。

水に入って泳ぎ始めると50m先の壁までハッキリくっきりみえる。
こんなに透明度の高い海なんてないのだろうし、
このプールで見える世界は別世界だ。

透明な水の世界に自分の意識が溶け込んでいくような気がする。

さて、ここのところ泳いでないし、運動不足の僕はユックリでよいから
なるべく長く気持ちよく泳ぐことを心がけた。

たまたま高速コースが開いていたので、そこで泳ぎ始めた。

すると、多少腕が重くなりながらも、身体は動き続け、息も息も苦しくならず、
10往復、1Kmあまりを一気に泳げた。

同じコースに、僕よりいくらかユックリ泳ぐ女性がはいってきて、
その人と休んだとき話をした。50代くらいの人だとおもうが
とても元気で、やっぱりマスターズスイムに出ているとのこと。

すぐに3人くらいそういう女性があつまり、集団で練習を開始していた。

僕は無理してもまたよくないだろうから、それから軽く泳いで、
水中歩行をして初泳ぎを終わりとした。

あの人たちのようには練習できなくても、
僕は僕なりに本当に水泳を好きなんだとまた知ることができて嬉しかった。

火曜日, 1月 08, 2008

僕のブログを見てくれている人へ

このブログ実に来てくれる人が何人かいるらしい。

でも誰かわからない。

ああ気になる。だれだろう。

最近余り書いてないのにそれでも、みに来てくれる人がいるらしい。
(なんでわかるかっていうと面白がって、広告はったからそれで
ページビューだけわかるのです)

まあよかったら、私のレスしてくださいな。ときどきみてくれるありががたいそこの方。
独白だけじゃもりあがんないもんな。いい加減。もっともレスかいてもらいにくい内容にも
問題あるんだろうけど。

正月のゴルフと仕事

1月2日、3日とついつい会社にきてしまった。
たいしたことはできてないのだけど。

3日は伊勢丹のメンズかんというとこに妻に呼ばれて、
娘と妻が見立てた、スプリングコート(というのかな)を
買ってもらった。

僕は服に無頓着なのだけど、妻と娘からすると、それが
僕への一番のプレゼントと思ってくれているようなので
ありがたく受け取った。

(服より普段もうちょっと優しくしてくれるほうが嬉しいかも、かもかも)

正月家にいても暇なので、ゴルフ練習場の早朝にいってきた。

随分久しぶりなのに、ドライバーの球がおそらく260ヤード先くらいのネットに何回も当たった。
ゴルフって本当に不思議だ。もうやる気なくなってずっと練習してないときに、
そんなに飛んだり。やる気になって頑張ろうとすると飛ばなかったり。

やる気なくなると、「戻っておいて、やればそこそこできるじゃないか。」
とゴルフの神様はいってくれているような気もするけど、

じゃあやろうとすると
「おまえなんかに簡単にうまくなれるスポーツじゃないんだよ」

といわれているような気分になる。

それはともかく、まえから、時々話ししていた人が、とうとうハンディキャップ0に
なっていた。前からとても目立っていて、その人の球筋をホレボレみていた。

彼より飛ばす人もいるのだけど、遠くのねらった場所まで、綺麗な球筋で
何回でも同じあたりに球をもっていけるのがすごいのだ。

そしてそれができる人の球筋は美しい。それがどうして美しく感じるのかはよくわからない。
良くわからないけど、その球筋と落ちてからの球の転がりみると、その人のまっすぐな
意志がのり移ったようにみえるのだ。

久しぶりにいって、300球もうってそのうち半分以上フルスイングすると
翌日はからだがきしむような筋肉痛になる。それでも練習のあとは
なんともいえない、爽快な前向きなきもちになれる。

やっぱりゴルフ練習場だけでもたまにはこよう。

水曜日, 1月 02, 2008

新年、信念、航空神社

昔に比べて、正月の季節感が薄くなった。

昔は、正月はもう店という店がきっちり閉じていたし。

まあそれはともかく 新年にあたり、気持ちを引き締めたい。

昨日、初詣に城山湖の近くにある神社にいってきた。
小さな神社だけど、感じがいいので、もう何年も正月にはいっている。
昨年は家族でベトナム旅行したからいけなかったが。

その神社の裏の丘の頂に、航空神社というもの(おもちゃ見たいに小さい神社)があった。
第二次世界大戦中かな、隼(0戦?)が墜落する事故があり
そのときは2名亡くなられて、そのほかにも墜落事故があり計3名なくなられて
いるので、それでそこに神社を作ったということだ。

そこからの、眺めは素晴らしく、天気もよく、空気が何時になる澄み切っていて、
新宿のビル街もくっきり見渡せて、気分がよかった。

そのあたりが、分水嶺となり、川の源流となっているんだそうだ。

新年にあたり、これといった特別な目標を僕はまた作れない。
自分をとりまく状況もどう変化していくか予測できないし、
どのように変化していっても、そこそこの成果を出し続けなくてはいけないから、
無理矢理に自分の柔軟性を狭くする目標なんかつれないとも思っているんだ。

だから、短期的な目標であれ、サバイバル的な目標であれ、
それを見出して一日一日を無駄にしないように、
やっていき、それがそこそこはできたなら、それでよしとして
またやっていこう。

敢えて言えば、僕の目標は、どんな状況になろうとめげずにへこたれずに前進して、
新しい面白い人に出会ってい、その出会いを大切にして、相乗効果の
出るような人間関係をつくろうということだ。