火曜日, 9月 30, 2008

筋肉痛のない目覚めと思いやりの足りない俺

今朝は久しぶりに身体のどこにも筋肉痛を感じずに目が覚めることができた。

しょっちゅう泳いでいると、目覚めはいつも筋肉痛があったけど、風邪で3日間
ゴロゴロしていて、それもなくなった。

話は変わるが、僕の元同僚で現在失業中の人で、今の僕にこんな
メールをくれる人がいる。

「**さんのような人を必要としているところは絶対にあると思います。
社会全体の状況が良かろうと悪かろうと。 」

僕はこんな言葉を先に彼に言うことができてなかった。
自分はおもいやりが足りないなあとため息がでた。

実際は、僕よりずっと思いやりなんかない人にばかり
仕事ではあってきたような気もしているのだけど。

僕は家族のこと考えなかったら、自分の仕事のことなんか
あまり 心配しなかったと思うのだけど、
逆に行き過ぎて自暴自棄みないな生活に なっていたかもしれない。

このままだと失業する日まであと75日。

月曜日, 9月 29, 2008

引きこもり生活 一応風邪で

風邪で調子わるいのと、人に会う予定もないので、
自宅から仕事をすることにして、今日も一歩も家から出なかった。
メールとチャットで仕事した。

もうきっと泳げないな。

風邪引いてから、やけに長時間眠ってしまう。眠れてしまう。

テレビみていて面白い番組ないから、BSでサントリーの
「セサミン」のCMばかりみてしまった。

そんなに身体によいなら医薬品として登録してみればいいのに、
と思いつつも、これだけこの商品のおかげで元気で感謝しています
というのを見せ続けられると俺も飲んだほうがいいかなと思うから
不思議なものだ。

しばらく前はコエンザイムがはやって、それ試しに飲んでみたら、
疲れないような気がして、飲み続けていたら脈が不規則になってきた。
コエンザイムのせいと確実にはいえないけど、タイミングが一緒だった。

精神的にさえなくなって、落ち込み気味になると、
ああ俺って報われない奴なのかなあと、余計に力が出なくなってきた。

自分に対する否定的な感情は、適当にいなしながらまともに受け止め
ないようにしよう。

転職活動も少しも前に進まず、こうやって解雇が決まっている仕事に
時間をとられてしまっている要領の悪い俺。

投げやりになりかけている、風邪の日をやり過ごして、
明日から頑張ろうかと思ったけど、それじゃあ甘すぎなので、
新しく転職サイトに登録してみた。

妻が近所の友人誘って、コストコいって、秋刀魚が6匹パック390円を買ってきたので
それを全部やいて、家族で食べきった。秋刀魚おいしくて、安くて、身体に良くて最高です。

このままだと失業する日まであと76日。

日曜日, 9月 28, 2008

家から一歩も出ない風邪の日曜日 テレビばかり

朝目が覚めると、鼻はムズムズ、頭は重く、すっかり風邪ひいていた。

それで家から全くでないで、家族のつくった食事を食べて、
テレビばかりみて、過ごした。

BSでユダヤ人の苦難の歴史みたいな番組をやっていた。

フランクフルトに行ったことがあって、そこでユダヤ博物館に
行ったことがあって、ユダヤ人ゲットーのこととかに興味がちょっとあり
そのことも番組でやっていたので、そこから見はじめた。

フランクフルトのユダヤ博物館は確かもとロスチャイルドの家だった
ものを改造して博物館にしたとかかいてあった。

ユダヤ人の苦難の歴史は気の毒なのだけど、
今現在、イスラエルで、これだけパレスチナ人から
恨まれることしてしまって、これからどうするのだろう。

国を持たない苦労を一番知っているハズの人たちが、
パレスチナ人を無理矢理追い出して、自分達と同じ苦労を
与えているのではないだろうか?

憎しみの拡大再生産。

なーんてこと考えるより自分の仕事をなんとかしないとなあ。

このままだと失業する日まであと77日。

脱力感しか出てこない焦燥感の中で

土曜日, 9月 27, 2008

母が来た日 風邪ひいたかも

起きたときから喉も鼻もカラカラに乾いたような感じで妙に痛かった。

うがいして良くなったけど、昼寝して目が覚めるとまたかなり痛い。

それで家の中でボンヤリしていた。

母がこないだピアノの調律やってもらった人が送ってくれた
京都の佃煮を持ってきて、
夕飯のキムチ鍋を一緒に食べて、 (妻と母が仲良くやってくれているのは助かる)
自転車で帰るところを、娘達と途中まで見送りに出かけた。(本日外出はこれだけ)

帰りに近所の自転車屋さんによって、スペシャライズドとジャイアントという
自転車メーカーの話をきいて、いよいよクロスバイク買いたくてしょうがなくなった。

でもあれだもうすぐ失業しそうなのにそんなもの買っている場合か?

とうい気持ちがあって冴えない。

このままだと失業する日まであと78日。

危機感が眠っているまま水泳とワイン


今の自分の状態だと、狂ったようにダメもとでも転職活動をやるか、
何が何でもビジネス立ち上げるべく動くべきなのだけど、眠い。

2年前からなんか自分が変わった。

それまでのカリカリ感がかなり減ってしまった。
困ったことになりそうだなあ。

一緒に働いているオーストラリア人の彼もピンチのはずだけど、
まず12月の日本語の検定試験にむけて日本語の勉強に集中したいのだそうだ。

それと、ともかく東京にまだ住み続けたいんだそうだ。
シドニーと全然違って面白いと彼は言っていた。

夜にまたプールに行って、ダラダラといい加減に泳いだ。

20分 キック
10分 プル
16分 クロール (1000m)

1人で泳ぐときはいつも距離を測らずただ適当に泳いでいるだけなのだけど
1000m 25mプールで20往復を数えながら泳いでみた。
そうすると自然とペースが上がってきた。数えるだけで。
苦しいほどペースが上がってしまう。

そのあとアルカディアにいき赤のグラスワインを飲み
店員と少し話をして帰ってきた。

水泳の後はともかく気持ちよく、気分良い。

朝まで生テレビを朝まで見てしまい。朝刊を読んで寝た。

失業まであと79日間
翌朝、またルークと遊んだ。
写真はアルミサッシと障子の間に逃げ込んだところ。

金曜日, 9月 26, 2008

あと80日間

昨晩、水泳練習会に参加、片手のみのプルでのクロールや平泳ぎを延々やって
妙な感じ。

一番妙に感じるのは、僕の左半身と右半身はとても違うと実感するからだと思う。

右腕と右手の方が力強いけど、技術的には左腕と左手のほうが上手い。上手い分
力が余計に追いつかない。

脚も右のほうがずっと強い。左脚は元々弱かったのだと思うけど、膝を怪我してから
無意識にかばってしまっているらしい。また膝も怪我するまえのようには動いていない。

さて仕事もそこそここなして、転職活動ももういくつかのエージェントと連絡とっているけど、
まるっきり手ごたえがない。

45歳、

8回もの転職歴、

中途半端な社長経験、

かなりまずい世の中の経済状況、

自分自身同じようなことの繰り返しにすっかり飽きてしまっていること、

次にやるできればワクワクすることをまるで見出せないまま時間だけが過ぎる。

はっきりわかっているのはあと80日間でこのままじゃ無職になるということだけなんだ。

木曜日, 9月 25, 2008

45歳になって

今日で45歳だ。

朝はもう仕事も心配で5時に目が覚めて、(昨日も)

目覚ましなくても早く目が覚めている。
妻も娘達もいつも良く寝ている。

ルーク(猫)だけが起きだした僕をみている。

テレビや新聞見ててもしょうがないので、会社に早くでてきた。

携帯見ると妻と娘から誕生日おめでとうとメールがきていた。

80歳まで生きるとするなら、45歳を
100m自由型の長水路のレースに置き換えれば
ターンして浮き上がって泳ぎ始めるあたりかな、

なーーんてことを考えていたこともあるけど、

実際にこの歳になっておもうのは、人生なんて半分過ぎようが、
若さを失おうが、いつだって、今とこれからしかないのです。

どんなに幸せで充実した過去があってもそれが
今を幸せに してくれるものではないと思うのです。

逆にあんまり良い過去なんかあると、
今が惨めに思えて苦しくなってりする人もいるんじゃないでしょうか。

僕は45歳になっても徒手空拳で今日を生きていくだけなのです。

そんなとき僕が連想するのは、

薄着で少し涼しくなった空気の中をバイクで走っているときのような、
自分の体を風にさらして、風の温度次第ですぐに身体が冷えたりするけど、
自由で身軽でちょっと心細いけど気持ち良いような感じや

9月なのにまだ暖かい海岸の陽だまりで、泳いだ身体を横たえて、
ギリギリで寒くないけど、すぐどうなるかわからない、でも自分の身体
1つで、好き勝手に海を泳いで気持ち良かったときとか、

そんな感覚です。

水曜日, 9月 24, 2008

一日に3回慶応病院にいき仕事を合間にこなした日

朝9時半から高名ときいている弁護士や公認会計士とも会議の予定があるのに、
慶応病院の予約も今日の午前中に入っていた。

それで、朝の6時には家をでて、慶応病院にいって、待っていたけど、
間に合わず、病院から弁護士事務所にいった。

会議では、これからどうするかを話したけど、
最後に今やらなければいけないことを
僕がまず書き出すことになり、
公認会計士に

「**さん(俺)真面目だからね」 (頼みますよーと言う感じ)

と言われ、何とも嫌な気分になった。
解雇通知もらっていても、自分の責任感で
それをやるつもりだけど、
真面目であることを利用されているような
気分になったから。

そこから慌てて、慶応病院にもどり
まず血液検査をうけて、その結果がでるまでに早い昼飯をとり、
漸く診察うけると

「手術しましょうか?」

と言われそれが比較的簡単な手術だと知っているけど、
前回の手術後死にそうになって恐怖感がある話をすると
じゃあ薬を続けましょうということになった。

簡単といっても、カテーテルといっても、心臓は心臓だしなあ。
どうすっかなあ。もう面倒だから薬もやめて、勝手に様子みたい
ような気になった。

自分の体も変なもので、三浦の遠泳大会のあと、脈がとても安定
していたのに、最近またこのバタバタのせいか脈が不安定になっている。

それから、会社にもどり、そこからまた他の用事で出かけて、
そのまままた慶応病院によって、薬を受け取る。
(これ出るまで一時間くらいかかるので、待っている時間なかったから)

血液検査の結果は、明日で45歳のなる男としては、
ほとんどが正常値でとても良いものだった。

健康に気をつけて、事故にあわなければ、僕は人並みに
生きていられると思っている。

火曜日, 9月 23, 2008

幸せな彼岸

月曜だけど翌日は祝日なので、妙にだるかったのだけど、
帰り道にまたプールに寄った。

ちょっと泳いでも身体が重すぎですぐ帰ろうかと思ったのだけど、
速い女性スイマーが熱心に練習しているので、
少し話をしているうちに、少しは練習する気になる。

バタ足をゆっくり連続することで身体を暖めて、
ロングは泳げないので、
25mのバタフライを何度かやって、
50mのバタフライを何度かやって、

帰り道、次女から携帯に電話が入り、何時に帰ってくるのかきかれる。

朝からの続きだけど、長女は英検の勉強をしていてそれを僕に見せたくて、
次女は紙で作ったボールを遠くに飛ばす自分で作ったおもちゃを僕に見せたがっていた。

娘達の素直さと僕にしきりに話かけたがるところがとても嬉しかった。

翌朝、バイクでまた奥多摩、都民の森で駐車場で休む。
国産4メーカー、ドカティー、BMW、ハーレー、KTMと
バイクの品評会のようだった。

マウンテンバイクで来ている3人組と話をした。
(最近ともかく自転車が気になってしょうがない)
50万円もするとのこと。(自転車が)

奥多摩周遊を超えて、小菅村の原始村の蕎麦屋にはじめて寄ってみた。

民家のような家の畳の上で、とてもおいしい蕎麦を食べた。
若いカップルもきていたが、帰り際、僕のバイクの横に
古いヤマハのぼろいバイクがあり、あのおしゃれなカップルは
これで来たのかと思うと感心してしまった。

バイクはボロくても走ればそれでまずあちこちいってみるのが大切だし、
どんなカッコ良いバイクで走っているより、美人の彼女とボロいバイクで
タンデムで走っているほうが、楽しそうだったから。

家に戻ってから、家族と墓参りにいった。
父の墓を娘達が掃除している姿が嬉しかった。

そのあと、前から気になっていながら一度も行ってなかった

「奈央屋」

にそのまま家族4人でいってきた。
おいしいだけでなくて、キチンとちゃんとした素材で作っていそうで、
その上安く、かつ店の中に、高円寺にときどきあるお店のような
雰囲気があって、また何度も行きたくなる店だった。

妻は用事があるので先にに自動車で帰って、
自分は娘達と手をつないで、色々な話を
しながら散歩して、帰ってきた。

そんなことがしみじみと幸せに感じられた。

月曜日, 9月 22, 2008

娘を叱って自分が空しくなったこと

長女は何やっても結構器用なくせして、
何一つそれなりに努力したといえるほどのところを見たことがない。

残念なことです。

水泳も、プールであった、娘に指導している女性コーチと
ちょっと話したら真っ先に

「泳ぎもすぐ器用に覚えますね。」

といってもらったけど、決してそんなに練習しようとはしない。

折角、ずっと続けていたバイオリンもやめてしまった。

英検受けるというから、それ向けの本を買ってきたのだけど、
ほとんどやらずに遊んでばかりいる。

それでしかったけど、

「そんなことじゃ、将来パパみたいに困ったことになるよ。」

と自分で言って、結構空しくなってしまった。

日曜日, 9月 21, 2008

家から出なかった雨の一日


たくさん昼寝をした。


雨の日は良く眠れる。


自分の知っている人がまとめて登場する不思議な夢をみていた。


自宅の各部屋に何故か僕の知っている人がここは俺の

仕事部屋だと言って仕事をしていて、僕は入れないという、

妙な夢だった。


あんまり広い家でもないし、そんなことあるわけもないのに。


普段疲れたまっているのに、無理してたんだなあと

こんなに良く眠ってよくわかった。


またルーク(猫)とちょっと遊んだ。片手で持ち上げたりして。

パコと魔法の絵本を娘とみてきた

昭島MOVIXという映画館で

パコと魔法の絵本

を娘2人とみてきた。妻は家で掃除と洗濯してるといってこなかった。

泣いて笑えて、コミカルなのに、考えさせられるところもある映画だった。
自分は役所浩司のクソジジイの役に一番感情移入していた。

帰って来て、すぐプールに向かって、練習会に参加した。
練習は今の僕には丁度よいくらいの強度だった。
自分の水泳の進歩を実感できた。
インターバルでかなりユックリ泳いだつもりの
ときも50m40秒は超えることがなかった。

なんてことやりながらも、あと86日間で何とかしないと
仕事なくなるんだなと、何回も頭をよぎっていた。

金曜日, 9月 19, 2008

ピンチをチャンスにしたいが。

自分が勤めているオーストラリアの会社の中国法人も、韓国法人も
既に閉じていて、日本は何とかしようと頑張っていたものの、

かなりの危機感を感じ続けていた。

それを振り払うように泳いでいた面もある。

今回とうとう、本社もビジネス終わらせるということになった。

僕もいい加減に諦めるしかないことはかなりまえから予測できていたことだった。

それでも、こうやって、あと3ヶ月間で給料払われなくなるとハッキリ決まって
その通知がきてみると、意識はかなり変わるものである。

僕にその通知がいつまでも届かないので こちらから頼んで送ってもらった。
なんて間抜けなことだろう。

街の風景を眺めていると、レストランなんて、ドンドン入れ替わっている。

できてはつぶれて。できてはつぶれて。
つぶれたところに新しいのができてまたつぶれて。

小さな会社も、ときには大きな会社だって、倒産したり、
そこまで行かなくても社員はドンドン入れ替わっていることが多い。

みんなどんな気持ちだろう。

今の僕は、かなり冷静にやっているのだけど、
いつも危機感が頭の片隅からは消えることがない。

だから頭のある部分の疲れがどうしても抜けない。

そういうときは酒でも飲むのがよいのかもしれない。

ピンチはチャンスを手にするよい機会とできることも多いから、
そのようにもっていける可能性をあげることをただただ、やっていこうとしている。

でも大きな袋小路に入ってしまっているとしたら、(その可能性も高いが)
なにか思い切ったことをしないとそれを突き破れないということもある。

すでに終息がきまったビジネスも、自分の責任感でまだやっている。

エンディング グー グー グー 

(冴えねえなあ)

木曜日, 9月 18, 2008

そうだよなあと思ったブログ

自分も同じようなことを、しばらく前から思っていたことが、
以下のブログに書いてあった。

http://blog.goo.ne.jp/miemie-ido/e/59a1c7f6672c0e9753be1a8054efd74d

このブログで趣味のことを書いているけど、仕事があるから趣味がたのしめるのである。

今や平均寿命と定年退職の年齢の開きは約20年にもなってきている。

本来は好きなことを仕事にして、それができるうちはできるだけ続けるのが
良いのだと思われる。

でも目先のことを考えるとそのためのアイデアもなくて、
ともかくまたなんとかその場しのぎでもできないかとしてしまう。

覚悟が足りないのかもしれない。

火曜日, 9月 16, 2008

失業カウントダウン

勤めているオーストラリアの会社がビジネス閉じることを
決断なさったそうで、英文の解雇通知を今日もらった。

僕だけ解雇通知がこないので、ひょっとしてまだやってくれという
可能性もあるのかいなともちょっとだけ思っていたのだが。

猶予期間は、きょうから3ヶ月間な俺、
来週には45歳になる俺、
扶養家族が3人いる俺、
今は不景気(サブプライム問題とかで)で多くの会社(特に外資系企業)は
採用を凍結しているときいている。

かなりやばいのである。

やれることをなるべく自由に発想してみつけていって、
それぞれやれるだけ手をうってみる。

今までのように、ここで何がなんでもという無茶して
体調崩したくはないので、できることを淡々とやっていこうと思う。

今の僕にできることで、大切なことは、希望をもって前に進んでゆく
姿勢を保つことくらいか?

いままで色々なピンチを経験してきて、このことくらいでは
そんなに動じなくなっているのだけど、
これだけピンチでもボンヤリしているのも良いことではない。

僕の12月半以降の仕事は全くわからなくなった。

ああ

リーマンブラザーズの破綻と俺の生活

リーマンブラザーズの破綻なんてことが、意外に一般的な生活を送る多くの
人に影響を与えてしまうのであろうと思われる。胸の痛い話だ。

お金があるとは、

紙幣をたくさん持っていることか?
銀行口座の残高が高いことか?
株式をたくさんもっていることか?
金(ゴールド)をたくさんもっていることか?
商品をたくさんもっていることか?

それぞれあるだろうけど、金融や資本主義のシステム自体が
第二次世界大戦後最大の混乱をきたしているそうだ。

僕にとっては、

1.自分のささやかな資産(将来、生活に必要になるであろう)がさらに減少すること。

2.多くの企業が採用を凍結することで、例えば自分の新しい仕事を探すのが、
非常に難しくなるであろうこと。

3.多くの企業が予算を減額することで、普通の商売やろうとしても売上たてるのが
困難になるであろうこと。

等まともに考えると、憂鬱になってしまうのである。

憂鬱になっていても良いことはないので、やれることをみつけてそれを
やっていくしかないのである。

ひょっとするとだけど、さらに金融機関の破綻がもっとドンドン起きて
さらに無茶苦茶になってきて、

貯金なんかいきなりパーになったりとか繰り返されるようになったら、

多くの人がもう金なんか貯めたってしょうがない、
使わないと無駄になるかもしれなくて、
もったいないから、使っちまえとかいうことになって、
それでいきなり景気回復

なんてなったりしてね。 

”やけくそ好景気” とかいったりして。

遊びのためにサラ金から金借りるのも馬鹿げたことなら、

死ぬまで使うあてのない金を貯め続けることも馬鹿げたことで、

実は後者のほうが、金融システムに過剰流動性というものを
作り出してしまうということでは余計に危ないことなのかもしれない。

自分の書いていることが正しいかもわからないのだけど。

月曜日, 9月 15, 2008

自分の机の上を整理してからまた水泳

朝、自転車にのって、自宅の裏の川原のサイクリングロードを走ってみた。
最近新しい、自転車が欲しくてしょうがない。ちょっとは本格的なクロスバイク。

オートバイで奥多摩行くたびに、バイクよりちょっと遅いくらいの、かなりの
スピードで走っているロードバイクを見かけて、それがかっこよくて、
大変そうだけど、面白そうで、興味が湧いてきている。

少し昼寝してから、娘達がキャンプから帰ってきた。

そのあと散らかっている自分の部屋のいらない本とか書類を
片付けた。机の上が綺麗になると、なんとも気分が良い。

明日からは今まで以上に厳しい展開が仕事であるのだけど、
まず、整理して気合をいれようとした。

合間にPCみると、聞いたこともないあたらしい会社の日本への
展開を助ける仕事しないかと チャットで入っているので、
ちょっと見てみた。

有望なような、やばいような。いつもいつもこういう展開だなあ。
俺は少しも進歩ないまま年取るなあ。
こんなことのくりかえしじゃいけないなあと思いながら、
夢を食うしかないバクのごとく、あてがないような夢を繰り返しみつづけてきた。

机を整理していて、「年金特別便」がでてきて、
過去につとめていた、会社といつからいつまで勤めていたかが
きちりでている書類みて、その1つ1つに色々な鮮烈な記憶の
あることをを思い出し今さらながら、ため息がでた。

それから、また自転車でプールにいって、
キック15分
プル15分
スイム30分

をこなす。

丁度一時間くらいしかないときが一番ダレずに
気合をいれて練習ができる。

1人で泳ぐときはとてもインターバルトレーニングできないので
ただロングを泳ぐだけなのだけど、

そのロングのスピードが、インターバルのときより速いときも
あるので、なんとも不思議である。

ともかく連続で泳ぐと、気持ち良くなれる。これも道楽だな。
やっぱり僕はみんなでの厳しい練習会より、
気ままなひとり泳ぎのほうが好きらしい。

そのあとそのまま自転車でツタヤにいって、色々立ち読みしたあと
水泳の雑誌をかってきた。

さあ明日から、仕事頑張ってこのピンチを面白いものに変えてやろう。

日曜日, 9月 14, 2008

のどかな一日

特に何もないのどかな一日だった。

睡眠不足なのに、6時には目が覚めてしまった。

ルーク(猫)は喉元くすぐられると気持ちいいらしい。



こちらから近づくと逃げる癖して、僕がじっとしていると寄ってきて
こんな感じで僕のすぐ横で丸まっている。



今日もプールにいった。
日曜の練習会は、軽いと聞いていたけど、あまり軽くなかった。
ただ、参加メンバーが昨日の早朝ほどはきつい練習を好まない
ので、少しサークルを長めにしたりして練習を進めた。

200m プル 8本 2分サークルもやったのだけど、

自然と後になるほど自分のペースが上がってきて
ラストは2分45秒で泳げていた。

(こんなに速いわけないから見間違えたのかもしれない。)

そのあとの100mのスイムではまた平凡なタイムでしか泳げなかった。

でも、やり方しだいで、僕はまだ生涯最高タイムをだせるかもしれないと思わせてくれて嬉しかった。
参加メンバーは昨日の早朝の人ほど速くはないけど、
水泳を好きな気持ちは変わらないような感じを受けた。

今日は妻が家中の網戸を張り替えていた。
僕は家事を全然手伝わないので、今日は夕飯くらい用意してと
いわれ、それももっともなので、プールの帰りにスーパーによって
色々買いこんできた。

かぼちゃのサラダ、ジャガイモのサラダ、鳥のから揚げ、マグロの赤身とホタテの刺身、
ゆでたとうもろこし、豚肉のロース、野菜ジュース、赤ワイン、ビール、枝豆、
豚肉はしょうが焼きにして、子供も出かけていないのに、妻とこれらを食べきった。

「友がみな我より偉く見ゆる日は、(って石川啄木だったっけ)、
のどかに家で猫と遊ぼう。」

土曜日, 9月 13, 2008

奥多摩 塩山 勝沼 上野原 青根 というツーリング




水泳練習の後しばらくゴロゴロしていたが、
ひょんなことから、

以前一度一緒に走ったフォルッツァに乗っている人と
昼からバイクで一緒に走ることになった。

http://koenjihachioji.blogspot.com/2008/06/blog-post_15.html

曇空の中 またまた まず とりあえず 奥多摩へ
奥多摩周遊道路から丹波山村、柳沢峠、でもこの後
大菩薩峠方面にはいかないで、そのまま甲府のほうに
きて、そのままフルーツラインを通って勝沼ICに
そこから上野原ICまで中央高速を走る。

前回フォルッツァと一緒に走ったときは、
まだならし運転中だったのだけど、
今日は高速で速くて驚いてしまった。

実用性と適度な趣味性を考えると250ccスクーターは
やっぱりたくさん売れているだけのことはあるんだなあと。

それから、青根キャンプ場の癒しの湯にいき、
そこに彼の奥さんと息子さんが私の妻が運転する自動車できて、
温泉入って、安くておいしい料理を色々と食べて、
街灯もない夜の山道を走って帰ってきた。

ミョウガ、新ショウガ、てんぷら蕎麦、パイナップル、
山芋そうめん(山芋をとても細く糸のように切ったもの)
砂肝、タコの唐揚、


温泉もいいけど、それ以上に本当にここは安くて上手い。
野菜も多分近所でとれたもの使っているんじゃないだろうか。

その分、僕みたいなリピーターが多いらしく、
いくたびにドンドンこんできているようだ。

今日は特にこんでいた。

今日は水泳、バイク、温泉をそれぞれ 楽しめた一日だった。

久しぶりの水泳早朝練習

朝の6時からの水泳練習会に参加してきた。

途中で

100メートル 8本 1分40秒サークル
100メートル 8本 2分サークル

がありこれが本日のメーンイベントだった。

意思の弱い僕は途中でまた、何回も何回もやめようと思った。

(こんな練習したら体に悪いから、休もうと 何回も思った。)

ところが、みなさん頑張るわけで、

僕より遅くてほとんど休みの取れない人も
自分より年上の人も
自分より重い病気背負っている人も
顔見ると上品でこんなハードな練習しなさそうな女性も

だから本当に自分の身体が動かなくなる前にやめるのも
カッコ悪過ぎだしと何回も何回も考え直して、最後まで続けた。

1分40秒サークルのときは 1分30秒程度でラップを重ねて
2分サークルのときは、1分25秒程度でラップを重ねることができた。

途中でも休憩中でも僕だけ息が酷く上がっている、呼吸の苦しさが
全体のスピードを落としてしまっている。

それで少しでも効率的に泳ごうとして、ストロークを長くしようとしすぎて
結果的に呼吸回数を少なくして、余計に苦しくなってしまっているようだが、
回転あげたら、もっと苦しくなるだけだろう。

練習が終わったあとの爽快感、達成感、その気持ちよさは格別だった。
1人ではとてもこんな強度の練習はできない。

朝飯食べなかったのもよかったようだ。
もし重いもの食べていたら吐くか気持ち悪くなっていたかもしれない。
胃に食べ物があると血液がそっちにいくぶん余計に息がくるしくなるように感じる。

脈の乱れもすぐ収まってきた。体調が少しづつ良くなってきている。

そのあと、家にもどってから、キャンプに出かける娘達を誘ってくれた
ご家族の家まで送り届けた。

金曜日, 9月 12, 2008

仕事 バイク 温泉 仕事




今日は人に会う予定もないので、自宅で9時から仕事を開始するが、
仕事も煮詰まっているので、(それを言い訳に)
午後から奥多摩にいった。

都民の森の水道見つけて、飲んだらこの水がおいしかった。

奥多摩周遊道路の上の休憩所で
ここのベンチに横たわって休むのが好きでそうしようとおもったら。

47歳のゼファー1100に乗ってきている人がいて、
2人で少し話をした。その人は47歳で若く見えるのに、
孫がいるという話で、驚いてしまった。亀有からここまできたそうだ。


帰りに、瀬音の湯に寄った。足湯は無料で、その後に温泉のチケットかって、
硫黄の匂いが結構する、アルカリ度の高い湯(だったかな)で肌がつるつるになる。
サウナと水風呂も繰り返してきた。

家にもどってから、現在シンガポールにいる彼とチャットで意見交換したけど、
正論で突っ込むと、彼は、これから空港にいくからまたねとのこと。
だから彼は明日の朝には東京にもどっていることになる。

これからどうなることやら ヤレヤレ、でも自分にやれることをやっていって結果をみよう。

どんな状況でも壊れないことくらいしか僕のとりえはないのだから。

臨死体験からの教訓と戸惑い

丁度2年前、自分は敗血症性ショックで入院していた。
後から知ったけど死亡率25%から90%でお医者さんも
看護士さんも僕のためにかなりバタバタしていたから、
本当にやばかったらしい。

http://koenjihachioji.blogspot.com/2006/09/blog-post_21.html

パラリンピックに出場が決まっていたシッティングバレーの若い女性選手が
同じ病気で急死したというニュースをみて思い出した。

この経験は自分に強い教訓を残した。
昨日読んだ本にも同様のことが書いてあった。

「死は誰にも確実にくるし、死はいつくるかわからない。」

「一ヵ月後に死ぬとわかったとしても、今やっていることがやりたいと思えることでなければ、
本当はそのことに自分は価値を認めていない。」

お医者さんの慌て方のピークから8時間くらい遅れて自分の苦しさのピークがきた。

要するに、一番死ぬ確率が高かったとき、僕は自分が死ぬかもとは全然思っていなかった。

一番危ないときを過ぎてから、こんなに苦しいのはやばいんじゃないかと思った。

だから、

明日死ぬとわかっていても悔いのないように
一ヵ月後に死ぬとわかっていても悔いののないように
一年後に死ぬとわかっていても悔いのないように
10年後に死ぬとわかっていても悔いのないように
20年後に死ぬとわかっていても悔いのないように
40年後に(そのくらいで死ぬ可能性が高いのかな)死ぬとわかっても悔いのないように

生きてゆきたいと強く、実感をもって思うようになった。

ところがこれは突き詰めるほど難しくなってしまう。

子供と遊ぶこと、
泳ぐこと、
バイクに乗って綺麗な景色のところにいくこと、

そのくらいしか僕には思い浮かぶことはないままそれから2年の歳月が流れた。

ごまかすことも大切で、人生浮き身に徹するしかないという考えもあるそうだけど。

なんて長い一日なんだろう夜が明けてしまう。

今日も色々な人に会い。
そんな中にも実は昼に仕事を抜け出して、泳いでしまい。
でも夜もお客さんのところにお世話になっているエンジニアさんといって、
そのあと水泳の練習会に参加した。

その後、またアルカディアによって赤ワインとキーマカレー(3ヶ月ぶりに食べたけどうまかった。)

さてそれからだ。

どうしても気になっていて頭が離れないことがあって、心身ともに疲れているはずなのに、
頭は痺れるように冴えてくる。(冴えてきているつもり)

危機感に走らされているだけだし、その危機は自分が上手く処理できずに
大きくしてしまったものだ。

なんてこと考えても、いまさらなんの足しにもならないので、
自宅から、インターネットで情報調べて一々メール書いたり、
情報整理したり、文書書いたりして、できるだけのことをしてみる。

もう午前4時半だ。

それでも事態は好転するのかどうか、わからないけど。

もう寝よう。
何もしないで寝るよりもは少しは手を打ったわけだし。

そんなことしながら、

男のための自分探し

も今日読んでいた。

大体今日は出だしから、妙な日だった。

かなり暗い感じの白人と、
左右非対称の顔した大きな白人と、
鋭い目をしたちょっと神経質でおどけたゴルゴ13みたいな(それじゃイメージできないね)白人と

妙なミーティングを持った。

相手の言っていることが良くわからないので、
こちらから質問すると、彼らは慌てていた。
アレで仕事回って利益を出せているんだからなあ。

ああもうPCも僕もダウンしよう。

水曜日, 9月 10, 2008

また水泳とバーで人と話をする

プールでまたインド人の彼とあって話をした。
自分にはイギリスとイランの血も混じっているという
話で、肌の色比べると僕よりずっと白くて、
なんだかそれがおかしくて2人で笑った。

その後は、1人で泳いだ。

一時にプールをでて、 またアルカディアへ

昨日の若いバーテンと留学先から一時帰国している女性が
カウンターに立っていて、

バイクと韓国語(留学先で韓国人と友達になることが多いから)と
落語と小林多喜二と草野球チームの話をした。

下の写真はアルカディアの内部、メーンのカウンターから
入り口方向をとったところ。 随分広くなったものである。

昼はカレーレストランとして営業しているとのこと。

火曜日, 9月 09, 2008

飲み屋、プール、バー

妻になんと言われるかはわからないが、
自分としては家族と結構いい感じでやっていると思っている。

娘達が起きているうちに家に辿りつくと、
本当に喜んでくれるし、しょっちゅう今日は何時に
帰って来るのと電話やメールが僕の携帯に来る。

それでも仕事で色々あると、まっすぐ帰る気になれないのであった。

それで、昨晩は知っている人がやっている歌舞伎町の変わった飲み屋に
数ヶ月ぶりに行った。

そこであったおじさんは若く見えたけど実際は78歳で、
その人のお母さんは102歳でまだ生きていて、
きっと長生きの家系なんだろうとか、
昔会社はじめて儲かって大変だった話とかきいた。

(良い時代だったんだよなあ、時代のせいにしても何のたしにもならないけど)


それから、夜中の12時20分から50分くらいまで泳いだ。
僕はロング泳いでいる途中でちょっと気合入れたときの
スピードと、インターバルで真剣に泳いでいるときの
スピードが変わらない。 どういうことなんだろ。

それから、あのアルカディアによったら、
なんと客は僕だけだった。

(開店からあんなに込んでいたのに。)

マスターは疲れてソファーで寝ていて。

若いバーテンに赤のグラスワインをいれてもらい。
枝豆とナッツを食べて、
西八周辺の雰囲気の良い店と
バイクと
オカマの

話をしてかえって寝た。

水泳と酒と会話で、楽しい気分になったからそのまま
何も考えないようにして寝た。

月曜日, 9月 08, 2008

自分より水泳に打ち込んでいる人達

土曜の水泳練習を始めようとしているときに、
一緒に練習している方(たつのりさん)が、
鼻血をだしてそれをすぐ拭っているのをみた。

「大丈夫ですか?」

「いやー薬の副作用でよくこうなるんです。」

その薬はきつい抗癌剤のことだ。

そして何事もなかったように練習は開始された。
僕は全く持久力不足で彼についていくことはできなかった。
彼には大きな大会がまっているとはいえ、どれほどの覚悟で水泳に取り組んでいることだろう。

こないだ三浦の遠泳大会でご一緒した人達も、49歳で1万メートルの練習をする日がある人や、
あの遠泳から一日も休まず練習している56歳の人もいて、

私はあっけにとられると同時に、自分が情けないのであった。

そこまでの意思も情熱もそして体力もないです。

それでもトボトボとでも水泳は続けていきたいけど、
土曜の夜の練習のつかれが月曜の朝の今も残っている。







アルカディア、前回の写真がくらかったので、朝にまた撮ってみた。
店の常連や、サポーターが花輪を送っている。
みんなこの店のこの空間と雰囲気がとても好きなのが
そこから想像できる。

自分は常連でもないのだけど、花を贈る発想ももてなかった。

日曜日, 9月 07, 2008

猫と初散歩

あんまり家のルーク(猫)が外にいきたそうなので、
家族が昨日ハーネスと紐を買ってきた。

それで今日はルークと娘2人と散歩にいってきた。

でも猫はほとんど人間にあわせて歩いたりしないので、
ほとんど抱っこして歩いた。



公園の木に登ったところ。



上るのが好き。


サイクリング道路で。舗装部分と草の境目を何故か好む。


あんまり、一緒にあるかないので、少し置き去りにしたところ。
さて昨晩の水泳練習は今の私にはかなりハードだったのだけど、
今日それほど身体はつらくなく、また脈もまあまあ安定してきた。
少しづつ身体の調子も良くなっているような気がする。

今日はこれからお客さんが家族できて、お好み焼きと焼きそばを
一緒に食べることになった。

水泳持久力非常に低いまま 

夕方から、バイクでしばらく行ってなかった、
和田峠から藤野にぬけるコースにいってみた。

八王子も津久井も城山も記録的な雨が降るという
事件があったから、この道大丈夫かと思っていたけど
まったく大丈夫だった。

いつもスグ通れなくなる道なのに。

饅頭やのおばさんにそのこときいたら、
あのとき何故かこの道にはあまり雨降らなかったとのこと
(いつもと逆だ。いつもは他が大丈夫でもこの道はダメになるから)

夜は、水泳の練習会に参加した。
久しぶりに練習会参加したら、
まるでついていけなかった。

インターバルのサークルで休みがとれなくなり、
ただ休まずにロングを泳ぐような状態になった。

また脈は不規則になり、それでも無理に泳いでいると、
全身が痛くなり動かなくなった。

それで、ペースをさらに落として、ゆっくり泳ぎながら
身体を回復させて、なんとか最後まで着いていった。

やぱり医者のいうとおり心肺機能が普通の人より低いのは
どうしようもないらしい。

よくこんな身体でオープンウォーターにでて完泳できたものである。

練習の最後に25mのダッシュを2本やった。

一本はバタフライで、

もう一本はフリーで。

これはそこそこのスピードで泳げた。

長距離を自分のペースで泳いで、だんだんとペースをあげていくことはできるのに、
インターバルトレーニングをメインとする練習会にでると、
自分の泳力は情けないばかり。

それでも水泳が好きなことには全く変わりはないのであった。

そんな泳力でも自分なりには進歩していることもあって、
筋力がいくらかあがってきたらしく、バタフライの切れが良くなった。

他人と比べるより、自分の向上したところを見てゆこう。

土曜日, 9月 06, 2008

外に出たい猫

こないだの脱走事件ではっきりしたけど。
ルーク(猫は)外にでたくてしょうながい。

身体もすっかり大きくなって、もう家の中だけでは退屈なのだろう。

ちょっと写真をいくつかとってみた。




2階のリビングの窓際で



外が気になるなあ。一階の和室の窓際で網戸越しに。




ウーン外がいいなあ。ボンヤリ。




ああ外行きたいなあ とっても。





なんだお前は俺は外行きたいんだぞ。



あーあ外いけそうにないから、ピアノのしたでうずくまるか。

可愛そうに、来月には金玉取除かれちゃうんだね。
去勢とは、強制オカマ手術な、古い中国で言えば宦官手術か。

自分で望んだわけでもないのにね。

女には金玉とられることの恐ろしさは想像できないもんね。

泳いだあとに開店したアルカディアへ



昨晩は軽く泳ぐだけで、
なんだか人と話をしたくて、プールでも休んでばかりいて、
インド人の英語教師の彼とか、
水泳、特に長距離がとても早い女性とか、
真っ黒に日焼けしている、50代なのに余分な脂肪がまるでなくて筋肉が盛り上がっている泳ぎも上手で力強い方とか、

と話をした。

インド人の彼は、日本人の彼女が家で待っていて早く帰らないと殺される
(彼は首をナイフで切られるようなポーズをジェスチャーでしていた。右親指を立てて首の左から右にそれを動かして)。

といいながらなかなか帰らず泳いでいたので、

「彼女に気をつけろよー」  "Your girl friend is waiting for you. Take care."
といってやった。

水泳長距離はやい女性は、こないだ三浦の遠泳大会一緒にでたのでその話もした。
今年3回オープンウォーターにでて、波で一番泳ぎにくい大会だったとのこと。

人によっては酔い止めの薬を飲んでから参加しているということだった。

きっちり水泳のドリル関係をこなしていて、速い人はそれに見合った
練習をしているものだとよくわかる。

黒いおじさんは、一見して身体が素晴らしく鍛え上げられている。
泳ぎも力強い。人はそれぞれの体型、体力、筋力にあった泳ぎがあるんだなあと。

それぞれ感心して、自分はあんまり泳がずに水から上がって
アルカディアに向かう。

”アルカディア 西八王子” でグーグルで検索すると、
色々なサイトがでてきて、6月の閉店を惜しんでいる人のサイトもいくつかでてきた。

開店日(再開日)ということもあり、店はこんでいた。
店の入り口には、アルカディア サポーター一同よりの花輪も飾られて、
この再開のために、ボランティアで工事手伝った人達もいるらしい。

この日はナッツ類が無料で、ビールを2杯飲んだ。

若い女の子が携帯画面でバーコードを出してそれを自分の携帯で
読み取るとマイミクが申請を受けられるというので試してみると、
簡単にできた。そんな使いかた全く知らなかった。面白い。
それにこういう子がマイミクになってくれるのも嬉しかった。

他の女の子はアメリカ暮らしが長いけど今は実家にもどってきているということで、
アメリカで会計監査の仕事しているということで、その話をした。

2人とも自分のすぐそばのご近所さんだった。

有名なそばや座忘の店主さんとは そばと、バイク(10台乗り継いだそうである)と、
自転車(今は自転車が一番の趣味だそうである)の話をした。

酒と会話は楽しく生きていくのに必要だなあ。

木曜日, 9月 04, 2008

アルカディア明日9月5日復活


高円寺のライブハウスや味のあるバーのような雰囲気を
西八王子でもっている飲み屋が 「アルカディア」だった。
アルカディアは駅から自宅までの帰り道の途中にあって、
夜中の2時までやっているので、1時までやっているプールの
帰りに丁度よりやすかったのだ。
それが、前の店が取り壊されて、しばらく寂しかったのだが、
明日から、前の場所から1分くらい歩いた場所で再開する。
写真は昨日のものなので、明日の開店までまだやること
かなりありそうだけど。
キーマカレーがとてもおいしい。お客さんは独身の人が多いようで、
男女半々くらいのことが多いようだった。
ちょっと楽しみにしている。そういうちょっとした楽しみ大切だよねえ。
最近疲れがたまりすぎて、昨日と一昨日は泳がなかったけど、
今日も体が重い。
脈が安定したままでそれは嬉しい。自分の体調気にしすぎはカッコ悪いけど。

水曜日, 9月 03, 2008

猫脱走事件

昨日は我家の愛猫ルークが脱走して、大騒ぎだったことを帰る前に電話できいた。

よく窓際に座って外を熱心に見ているから、

ああ外にとっても興味あるんだなあ。
外に行きたいんだろうなあとは思っていた。

それが2階の窓だか網戸だかのわずかな隙間から抜け出したらしく、
隣の家の物置経由だかで、抜け出して、妻も、娘達も大騒ぎをしたのだそうだ。

長女にいたっては、家から少し離れたところで見かけたのに、
そこから逃げられて見失ってしまい。

実は自分は嫌われていたのではないとも思ったらしい。
(良く面倒みているのに。)

猫が家を出たと思われる時間から7時間後、
妻と娘2人で、
暗くなった小さな庭にルークが戻ってこないか
蚊に何回も刺されながら探していると、

その庭の上にある2階のベランダからルークの鳴き声が聴こえてきて、
いつの間にか、またどこか経由で2階に現れて、
家の中に入れてもらいたがっていたとのこと。

家に入ると早速妻にシャワーで洗われてしまったそうだが、
その後、疲れて安心したように眠ってしまったんだそうだ。

これで一件落着なんだけど、

ルークはオスで、 一般的な飼いかただと、
あと何ヶ月かすると去勢手術をうけて、
家から全くださず、これから生きていくことになる。

それなら外で冒険して、怪我しても、死んでもそのほうが
ルークとしては満足なんじゃないかとも思うのだった。

僕の実家のタマのように、実家をベースキャンプみたいにして
普段はほっつき歩いて、25歳になってもまだ生きていて
普段は贅沢三昧の食材をたべているなんて、一番猫としても
良いのかもしれない。

火曜日, 9月 02, 2008

子供を愛するように自分も愛せれば良いのだろう。水泳と自分の体と性格と

昨日は月曜から仕事で気の滅入ることが続いて、
久しぶりにかなり憂鬱になっちまったので、
また11時くらいからみっちり泳いだ。

泳げば憂鬱なんか消える。 

水泳は僕にとっては宗教のようなものなのかもしれない。

宗教入ったことないけど。

25分の連続キック 

(オリンピックでのマイケルフェルプスの活躍を見てから、キック練習を欠かさずやってきたら、キック最弱スイマーだった自分でもキックをこれだけ続けられるようになった。でも遅いままだが続けられるようになった。)

20分のプル

33分のクロールで1800mを泳いだ。 (自分の距離を覚えて泳ぐなんて何年ぶりだろう。)

多分トータルでは4000m程度泳いだようだ。

そんなわけで長いこと全くことダッシュをしてないので、おそらく短距離は遅くなっていると思う。

ただ、自分の勝手な考えでは、まず持久力を上げてその土台の上に他の泳力をつけないと、
基礎の浅い建築物を作るようになると思っているから、そうならないようにこうしているのである。

バイトで監視員やっている大学生の兄ちゃんが良く話しかけてきて、

「僕もバタフライ上手くなっていつかは勝負を挑みますよ。」

といっているから

「誰に?」

ときいたら

「**さん(私のこと)ですよ。」

というから

「そんなこといっていたら。僕はおじいちゃんになっちゃうよ。」

なんて話していた。

さて、憂鬱になった話。

僕は何回も失敗をしてきたから、それが良い経験になったとしても、
自責の念に駆られたことが何度もある。

放っておくと自己嫌悪になり、憂鬱になり、次の一手をとるのが
億劫になってさらに事態は悪化する。

そんなとき、最近思うのが、子供を愛するように自分自身にも鷹揚な愛情をもちたいということ。

自分は2人の娘が可愛くてしょうがないので、勉強できなくても、いい加減でも、
それを叱ったとしても もちろん子供への愛情は全く変わらない。

自分自身についても一々仕事で失敗したからとか、思うようにできなかったからとか、
一々の出来事で自分を律すべきと判断しても それで一々自分を嫌いになったり
しないで、自分はこういう人間なんだし、それはそれで愛すべきところもあるんだと
自分で納得するように(多少無理にでも)しようと自分の考えを変えていこうとしている。

そういうところで、自分を責めすぎることが今までの自分の心身を痛めつけて
きたことも今になってよくわかる。

病気している自分の身体だって、老化していいっている自分の身体だって
そんな自分の体にも自然に愛情をもてるようにしたい。そうもってゆきたい。

この一週間余りで、自分の心臓の鼓動が安定してきた。

だから昨晩は泳いでいても、全然息が苦しくならなかった。
(とばさなかったせいもあるけど)

自分を好きになれない人は

他人も愛せなければ、
良い仕事もできなければ、
健康を維持するのも難しく、

悪いことだらけらしい。

僕は子供に持てる自分の感情の一部でも自分にも持てるようになりたいと、
今頃思うようになった。

体が壊れても、心が壊れても、金がなくても、何がなくても
自分の魂はそこそこは美しいところもあるんだと
一生信じ続けていられるようにしたいものである。

月曜日, 9月 01, 2008

25歳の猫 実家の猫



土曜日についでに実家のピアノも調律してもらった。
母が67歳からピアノを習いだして、かなり熱も入っているらしいので。

数ヶ月ぶりに実家によると、母の飼っている猫がすっかり老けていた。
毛並みは擦り切れたボアのようで、
鳴き声もかすれていて、
動きはノロノロやっと動いていて、
顔も浮腫んでいる感じ。

もう25年も生きた、超長寿猫らしいけど、
なんだかその姿をみていて可哀想になった。

気が向けば、
近所をうろついたり、
家にはいったり、
毎日刺身たべて、

まあ楽しくやってきたとおもうけど、それでも今の姿はヨレヨレで。

家に帰って、自宅の猫(ルーク)をみると一段ととしとるとこんなに違うんだと。