木曜日, 4月 09, 2009

ミスターバイクと佐藤信哉の21年前の思い出

---アップデート追加------------
バイク雑誌 風まかせ(佐藤信哉2016年現在の連載雑誌。)
 2016年6月号で バイクと犬と泥棒の話を書いている。

バイクは話の中心ではないのだけど、これも佐藤信哉さんの
人に対する優しい視点が垣間見える記事でした。

いつもおとなしい飼い犬が、バイクのタンクキャップだけ盗もうとした人に
対しては激しく追っかけるという話の顛末でした。

佐藤信哉さん、バイク関連商品のスポンサー受ければ稼げただろうに、
自分が自由であること優先してそれを受けなかった話も以前書きました。

えげつない商売しても稼ごうとする人にあうと、うんざりしますが、
そういうことでも彼は逆の人だったんだなあとまた思い出しました。


---要約追加-------------------
佐藤信哉さんの記事を、ミスターバイクでの
連載当初(1984年頃)から読んでいる者です。

バイクへの興味が強く、多くのバイク雑誌を自分でも呆れるほど
読んできた中で、一番印象に残る、好きなバイクの記事を書いてくれて
いたのが、佐藤信哉さんでした。

それは、バイクへの強い愛情、バイクを通じた体験の共有、
佐藤信哉さん自身が持っている闊達明朗な精神が
文章から伝わってきたからです。

1987年頃の冬と記憶しているのですが、
佐藤信哉さんは、初めて、ミスターバークの読者と泊まりかけの飲み会を企画してくれました。
それに参加して、雑誌から受けるカリスマ性やバトルスーツから受けるちょっと怖い印象とは
違い、驚く程気さくで、優しい人であることが分かりした。その時の記事がこの投稿の下部に
ある元記事です。(これがなんともう6000回も読まれて驚いて説明を追加しています。)

その後、2009年に佐藤信哉さんのバーンナイトという、朝までやるライブハウスでの
集まりと、その前の飲み会に参加して、佐藤信哉さんが昔と変わらぬ、心で今も
バイク好きでいることに感激して書いた記事がすぐ下にもリンクをはった
佐藤信哉さんと話して嬉しかったこと、生粋で永遠のバイク乗り  です。

ここで、じっくり話せてわかったのは、非常に簡単に言えば、
佐藤信哉さんは、隣のもの凄くバイクが好きな兄ちゃんで
かつ、自分の主張をきちっとスジを通す(普通の人ではできないくらい)、
そして自分の好きなバイクにとことん純粋な人だということでした。

おもえば、1960年代前半生まれは、バイク全盛期を過ごし、
そして、今も日本のバイク平均年齢がその世代という、

国内の新車バイク購入の平均年齢はなんと約51歳!

バイクに特別な愛着と思いのある世代なのでしょうね。
だから佐藤信哉さんは今、インターネットで検索し続けられて
私のこの記事を読んでくれる人がでてきたということだと理解しています。

バイクで楽しかったこと、苦しい旅だったけど、今や良い思い出となったこと、
それが心に蘇らせることができる、人はそれだけでも幸せです。 仲間です。

---更新情報-------------------
佐藤信哉さんは(2016年現在)は

”風まかせ” というバイク冊子の最初の方で
バイクに関わる出来事のコラムを書かれています。
昔とかわらない、味のある文章が読めます。

バーンナイトは現在続いているのかはわかっていません。

尚、同姓同名同漢字で数学者で有名な佐藤信哉さん
同じく、自転車競技で有名な佐藤信哉さんも
いらっしゃいますが、ここでは、ミスターバイクと雑誌で
活躍した、バイクで有名な佐藤信哉さんの紹介です。念の為。

当時の佐藤信哉さんがファイアーロード読んでいた
林道を走ったたのしい記事を集めた本は今も
中古で買えます。(2016年6月10日現在)

佐藤信哉のファイヤー・ロード

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この記事驚く程読まれているので、関連する記事(ミスターバイクと佐藤信哉
のリンクを張ります。

佐藤信哉さんと話して嬉しかったこと、生粋で永遠のバイク乗り

Mr.Bikeに掲載されたこと

今頃 ミスターバイクの休刊のこと

一番好きなバイク雑誌はもう25年位前から「ミスターバイク」で
(まあ最近あまり買ってないが)その中でずっと一番活躍しているのが
佐藤信哉だ。

バイク乗りなら大体知っている名前だと思う。

その彼が確か21年位前に、ミスターバイクの読者を集めて
泊りがけの飲み会を企画した。

その後、信哉Dayへと発展していくきっかけとなる最初の
泊りがけ飲み会だった。

友人が私も一緒にそれに応募してくれて、私は当時乗っていった。
ハンドルが曲がりオイルがチューチュー漏れる異様にボロい
中古のヤマハのXT250で参加した。前日はそのバイクで
清里のスキー場の近くを走って、雪道を走っていた(どうやって?)。

そのままその飲み会に参加した。友人とは現地で合流した。

怪しげなマッドマックスや北斗の拳もどきの格好
(というか佐藤信哉のバトルスーツの方が元祖だと思うが)
をしたバイク集団と、私たちのようにオフロードバイクやら、
おとなしめのバイクに乗った集団がたしか半々くらいづつ
集まってきた。

そこで佐藤信哉が登場した。

びっくりするくらい小さいのに、びっくりするくらい存在感のある人だった。

夜の飲み会は異様なほど盛り上がった。

ミスターバイク編集部の方々、当時の編集長の近藤さん、
慶応大学の学生でバイトで編集していた人、
板垣さんだったかな写真家なのに当時毎回違う女の話の
エッセイをかいていた人(全部フィクションだったらしいが)。

カドヤの社長は既にかなりの年配だったが、酔っ払いながら
逆立ちしていた。

みんなバイクが好きで、どこか普通の人からちょっと外れているような。
そしてみんな素晴らしく心優しいことが伝わってきて。
自分は嬉しすぎて、飲み放題をいいことに意識がなくなるまで飲んでいた。
意識がなくなりかける私をみんなで心配してくれていて、
それが嬉しくてもっと飲んでいた。

カドヤの社長は自社製品の小物をプレゼントしまくっていた。

佐藤信哉はあの強持てそうなイメージと全然違って気さくで
みんなに一通り酒をついで回っていた。
まあ彼のファンなら彼が優しい男であることは彼の文章から
想像ついていたことだが。

ともかく盛り上がった夜だったから、こうやって21年たってもよく憶えている。

その後のミスターバイクで、佐藤信哉は確かこう書いていた。

「もうああいう集まりは絶対2度とやらない。」
「集まってきた奴らがあまりにいい人ばかりで、なんかカッコがつかない」

あの集まりに参加して、彼の言いたいことは僕もわかった。
あまりにも心優しいバイク乗りたちだった。(カッコはマッドマックスでも)

彼はその後、しんやDayでそれを大掛かりにして再開して何回か
やっていたけど、それには参加しなかった。

今は月に1回池袋で朝までバーンナイトというのをずっと続けている。
それにも一度も参加してない。

あのときの繊細で傷つきやすいのではとすら思えたほどの
心優しいバイク乗りたちはそれぞれ今どこにいるのだろうと
ときどきボーっと思う。

多分今もバイクに乗っているとは思うが、僕と一緒で世間からは
多少はみ出ているかもしれない。

暖かくなってきたからまたバイクに乗ろう。

2 件のコメント:

かっぱ さんのコメント...

うまく言えないけど加藤登紀子の「時には昔の話を」を聞きながら読んでいたら
少し涙が出ました。

中村 真人 さんのコメント...

かっぱさんコメントもらっていたこと今頃
(2012/5/15)気がつきました。

実は、佐藤信哉さんにバーンナイトで再会して、(ミスターバイクが廃刊になる数ヶ月前に) それで懐かしくなってこのブログを書きました。

信哉さんもこのブログを読んでくれてメールをくれて、

ここで年配って書いてあるあのときのカドヤの社長よりもう俺たち年上なんだぜとかいてありました。

ナイスガイでしたよともかく。信哉さんは。