水曜日, 6月 03, 2009

お客さんとカレーとリステリンと村上春樹

昨日カレー作って、妻の友人家族にもきてもらって
食べてもらって、褒めてもらってとっても嬉しいので
さらに料理をしてみようと思うのだが、
自分ではよく味がわからなくなってしまっている。

リステリンのせいだ。

このピリピリ感が癖になり、実際口の中が
スッキリしてそれが続くのでさらに癖になり、

クチュクチュしていると、舌もピリピリしすぎて
味覚まで痺れてしまう。

でもモンダミンじぁリステリンほど効いた気がしない。

料理というのは前回と同じような味ではおもしろくないし、
食べてくれる人によって好みが違うし、
安く、早く、旨くつくれるようなのがいいし、
材料選び、過熱時間、そのタイミング、材料の切り方、
調味料、ダシ、鍋、フライパン、本当に構成要素が
大きく、正解のわからない多変量解析のようなものに
感じてしまう。

でもともかく材料の要素が大きくて、不思議なことに
旨くて、栄養価のよい食材と、その値段とはあまり
比例してないようだ。

いまなら、昨年北海道でとれた脂ののった、旨い冷凍秋刀魚を
100円以下で売っているけど、意外に(この不景気でも)みんな
それほど買ってない。

料理は奥が深すぎるので、僕の場合はレシピを探して
ほとんどその通りにつくって、わずかながら自分なりの
変更を加えた方が良さそうなところは代えたり程度から
試していくのが良さそうだ。

という話のあとについでに書くのもあれだが、

村上春樹の新作 「1Q86」が売れに売れているそうだ。

村上春樹は初期の作品が良くて
これらの本は夢中で読みきれたし、特に中国行きのスロウ・ボートは繰り返し読んだ。


ところがそれ以降彼の作品で最後まで飽きずに読めた作品には
ひとつもあってない。

彼自身何かのインタービューで答えていたが
自分の小説が売れ始めたときは嬉しかったけど、
余りに売れると、100万部を超えたりすると、自分の
小説を誰もわかってくれてないのではないかと
逆に孤独な気がした。

(文は多少不正確かもしれないけど意味はこのとおりのことを言っていた。)

そもそも世の中で多数派とはいえない人を主人公として書いている
彼の作品が大多数の人に支持されることが、もう作品の中味ではなく
ちょっとおしゃれなファッションとして支持されているように
僕にはみえてしまうのであった。

もちろん個人的な独断と偏見かもしれないけど。

小説の楽しみに、こんなところにこんな感じ方、考え方をして生きている人がいる(それが作り話でも)ということを味わえることがある。それが自分の個性を持った心に響くと感じられることが楽しみであって、その楽しみはファッションのような多数派小説では感じ難いと思う。 村上春樹がそれを今どう思っているかはわからないけど。

ここまで書いて、フッと思ったけど、村上春樹がベストセラー作家の孤独を強く味わえば、また初期の頃のような孤独感と豊な感情を持ちながらそれを抑制していきているような主人公がでてくる小説を書けるのかもしれない。

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