土曜日, 9月 26, 2009

46歳になって

朝、目が覚めると、下の娘が、ウレシそうに

「ネエ、パパ」と僕を呼ぶ。

「何?」

「誕生日おめでとう。」

というのであった。 自分の誕生日もあんまり考えてなかった。

夜にはまた小遣いはたいて、僕に隠れて
誕生ケーキを買ってきてくれていて、

ローソク吹き消すのも、ただ消すのじゃ面白くないから
わざと離れたところから何度も吹き消そうとして、

なかなか消えなくて、呼吸しすぎてクラクラした。

現在、実質失業中の冴えない身の上で家族にも言うことないので、

「パパはねえ、どんなときになっても、諦めないで頑張ることだけは約束するよ。」

とだけ、言っておいた。 そのくらいしか今の僕には言えることないし。

夜は久しぶりにプールにいった。

あんなに好きで、たくさん泳いだ水泳が、
急にあんまり楽しめなくなってきてしまっている。

それでも、水の感触を確かめるように、ユックリと泳ぎ続けてきた。

帰りにまたコンビニで立ち読みをしていると、
ファッション雑誌から飛だしてきたような、モデル見たいな人が
ファッション雑誌を2誌買おうとして一誌は立ち読みして、
一誌を買っていった。

あまりの垢抜けた雰囲気、とびぬけたバランスのとれたスタイル、
カジュアルなファッションなのに、それでも思いっきりおしゃれに
感じさせてしまうセンス。 

下半身は、柔らかそうなのにぴったりしたパンツ。
上半身は、胸元がちょっとあいているだけなんだけど、
僕の背が高いので、ちょっとだけ胸の谷間が見えてしまい、

こんな人がこんなところにいるのかとかなり驚いた。

そして僕は46歳になり、

水泳を楽しむには、もう技術より、体力より、健康を維持することの方が
大切らしいとわかってきた。

仕事は相変わらず糸口もつかめないまま過ぎていく。

25日は通常であれば、給料日なので、妻は僕の口座から生活費を
普通に落とし続ける。

妻は、家でほとんど家事も手伝わない私に何の文句も言わない。

収入を得る方法を作り出さない限り、そのうち金がなくなることだけは明らかで
現実に向き合って頑張るしかないのだ。

そういうことで贅沢言っていられる立場でないのは百も承知なのだが、

人生も半分を過ぎ、何回も入院生活を送った自分は、

自分が好きでやれて、世の中の役にもたって、収入にもなることを
やりたいのであって、そうでないことはどうしてもやる気になれないのであった。

7月から始めたメルマガは読者が1400を突破したが、ほとんど手ごたえがなく、
ただ、自分の書くのが好きということをやっているだけで、

それが全く、収入になる見込みは立たないまま時間が経過している。

アメブロとMixiを通じて、面白い方々と知り合いになった。

数学の研究者、経済学の研究者、投資家、編集者、学生、大学院生、

あきらめないで、きちんと自分の頭で考えて、そしてそれを組み立てていくことで
次のチャンスを掴むしかない。

それと行き当たりばったりの行動でも続けることで、何かを見つけること。

そして、それが、無理に思えるときがあっても、止まらずに動き続けること。

僕は小さい会社でも社長も2回経験して、みて、変な意味での名誉欲も
功名心も、権力欲も一段と少なくなった。

自分の内側から湧き上がる、欲求に忠実でありたいと思う。

生活が維持していける限り。

こんなことが、僕が46歳になった日から、翌日の明け方にかけて
1人で静かな夜の中で思っていることであった。












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