金曜日, 4月 29, 2016

バリ島で発作的にツーリング

バリ島を半周 2日間1000円で借りたバイクで走り回ってきました。

FBの方に写真も上げているのでリンクを張ります。

その一
其ノ二
其の参

東南アジアを旅するたびに、現地の人が
バイクに乗っているのをみて俺も乗りたいなあと
思っていたのですが、

今回、滞在したホテルの前の小さなお店のおばちゃんんがレンタルバイクも
やっていて、じっとしていても汗がたれてくる季候とも相まって、
発作的にバイクを借りて、翌日というか深夜午後3時から、
バリ島を走り始めました。

小雨降る、午前3時の、初めて訪れた、バリ島で
走り出す心細さは、胸に募るものがありました。

しかも午前5時には、バリの混雑しそうな
エリアを抜け出たと思ったあたりで、

スロットルワイヤーが切れて全ておしまいかと。

バイク歴は長いので、その瞬間の
終わった感は、昔 XLR250パリダカを
焼きつきで、完全おシャカにしたときを
思い出させるほど、絶望的だったのです。

しょうがないので、道を、バイクを押して歩き続けると、
ガソリンスタンドがあって、
そこにバイクを止めて、助けを、何度も求めるのですが、
まるで相手にしてもらえず。

そもそも、誰も、全く英語を喋れず、

しかも極めて冷たい。

5人くらいのスタッフにそれぞれ一生懸命お願いしても
まるでダメ。

持っていた、スマホも、そもそもWIFIにも繋がらず、
電話をかしてほしいといっても、全くダメ。

おまけに、現地のガイドの人の名刺もそもそも見つからず。

まいったなあと思いながら、夜明けがきました。

それで、そのあたりになにかないかと、周囲を歩いて
助かるチャンスがないか探し始めたのです。

無理だろうなあと思いつつ、一縷の望みを求めて、

そうしたら、しばらく歩いたところに、自動車修理工場があり、
でも寂れた感じで、早朝とは言え、そもそも営業している感じがしません。

そこからさらに歩いていくと、ピカピカに輝くような清潔な
ヤマハのショップがありました。

砂漠でオアシス見つけたようにすら感じました。

そのお店では、一人のスタッフがモップで
床をピカピカに自分が映り込むほど磨き上げてました。
執拗なくらいです。

バリ島では、さっきの冷たいガソリンスタンドみたいな店も多く、
その日本のショップをこえる清潔さは驚きでした。

しかも、僕がその床を歩いて、汚い足跡をつけても、
嫌な顔一つせず、大丈夫という感じで迎え入れてくれました。

この店ならなんとかしてくれそうなので、さっきのガソリンスタンドまで
もどって、バイクを押し歩きしながら、その店までもってきました。

その掃除していた店員に、スロットルが、スカスカになっていることを
つたえると、スロットルの何かが外れているかと思ったらしく
調整してなんとかしようとしています。

でもそれじゃないことには、彼もすぐに気がつきました。

もっと根本的な問題なのですから。

8時くらいまでもたもたして、そこから、
他のスタッフもきて、バイクを見てくれました。

すぐにスロットルワイヤーの問題であることが
明確になりました。

僕がかりていたのは、ホンダのバイクだったので、
ヤマハの部品で大丈夫かなとちらっと思ったのですが、
関係なく修理にはいってくれました。


その店はスタッフがヒンズー教徒で、店の裏にはヒンズー教の
仏壇のようなもの(としか説明できない、ヒンズー壇というべきかもしれないが)
ありました。

スタッフの素晴らしい、モラルの高さは、ヒンズー教への信仰と
関係があるように思われました。

修理中は、えらく可愛い、ハニカミ笑顔がすてきなティナちゃんが
話相手になってくれました。それも写真にでてきてます。
店の経営がとてもうまくいってそうなので、それをきくと

「オーナーがツナですから。」

(経営のうまいマグロ?)

そんなわけないから、前後関係から考えて、
チャイナをツナといっているのかと推測して、
聞きただすとそうだった。

驚いたのはオーナーの中国人は仏教徒なのに、
バリでの店の経営のために、店も自分もヒンズー教にして
それでうまくいっているということらしい。

経営のためには自分の宗教もかえたということらしい。
ティナちゃんは恥ずかしがりのようなハニカミで
それでも色々話しかけてくれて、水持ってきたり
扇風機あててくれたり、えらく可愛い子だった。(写真有り。)

さて修理は終わってよかったのですが、一日でバリ島を一周するということは
時間的にどう考えても無理そうです。

しかも山奥で今回のようなトラブルとなれば、遭難となります。

でもじっとしていられず、バリ島のただただ、西側に向けて海沿いや海に近い
道を走り続けていきました。

125ccのスクーターのエンジンは快調で、
その道で走れるスピードを得るのに十分なパワーがあり、
しかも軽いということから得られる自由度が素晴らしく楽しかったのです。

バイクだと、長時間乗ると必ず尻が耐え難く痛くなりますが、
スクーターだとそれもありませんでした。

僕は地図は、地球の歩き方の大まかな地図、
地名もよくわからない文字で、
このまま遭難しかねない不安の中
ホテルから離れる方向へとただただ走り続けました。

11時くらいに、海岸沿いの素晴らい景色を眺められる、
素敵なデザインのレストランで昼食をとりました。これも写真にあります。

本格的な、シャバシャバでスパイシーなスープカレーのようなカレーと
東南アジアによくある(バリは南半球ですが)、すごく風味のつよいパサパサのコメ
(僕はこのコメ好きです。)

それに好きなオカズを、選んでのっけるのですが、
たまたまのっけた、おそらくタイかタイに近い種類の魚を
唐揚げしたものらしいものが、驚くほどおいしく、これをおかわりしました。(FBのさっきのリンクに写真にあります。)

これだけ食べて、飲んで500円くらいでした。

そこからも、追いかけられるように走り続けました。

街灯もないから、日が沈むまでにホテルの近くまでもどらないと
大変なことになるのに、ホテルと離れる方向に走り続けるこの不安。
しかももう12時。

途中で、えらく飛ばしているダンプに何度も抜かれ、抜き返しをします。
とても危険でした。

でもあとで理由がわかりました。
途中でバイクをとめられて、身元チェックをされたりもしたりもしました。
パスポートをホテルにおいてきたので、日本の免許証とホテルの鍵で
なんとか逮捕されずに済みましたが。

でもこれもあとで理由がわかりました。

道すがら、ドリアンを売っている露店が目に付き、
自分も試食したくなって、ある店で立ち止まります。(FBのさっきのリンクにそれも写真があります。)

初めて食べたドリアンは、味はいいのに、その激しい、
腐敗を連想させる匂いに、うまいのにオエオエと吐きそうになり、
でも売ってくた人のいいおばちゃんの手前、食べ続けるという
最初は拷問みたいでしたが、最後はやっぱりこれうまいんだなと
わかってくるという体験でした。

さてそのあとはしっていくと、いきなり大掛かりなフェリー乗り場です。

そうバリ島の最西端はジャワ島へのフェリー乗り場なのです。
そして、さっきのダンプは、おそらく、フェリーに間に合わなくて
焦って飛ばしていたのでしょう。

とりしまりは、バリからシャワに逃げる人をとりしまっていたのでしょう。

バリは人件費も安く、普通の人は飛行機ものれないから
このフェリーで、いききしていることがわかってきました。

僕は、道をちょっと迷っていたことがわかり、引き返して
バリ島西部の国立公園西側を走る道にもどりました。

動物園でしか見たことのないようなサルが群れででてきます。

牛もよくみかけます。すっかり山奥です。雄大な緑のかたまり。

こで、バイクトラブルに見舞われたら、そのまま遭難です。
ただ、道は良くて、スピードは上がりました。

ともかく傾きかける太陽を追いかけるように走り続け、
また海外沿いに出て、バリ島の北西の海岸沿いを
かなりのペースで走り続けました。

日差しがつよく、むき出しの手が焼きついていきます。

バリ島を半周したところで、すでにもう2時半でした。

一周はとても無理とはっきり分かり、そこからバリ島を南北に縦断する
山道に入りました。幹線道路のはずなのに、何度も道別れして
その度に不安で、現地の人に無礼を承知で道をききまくってました。

さて雨が降ってきた。

すぐに、とんでもない土砂降りになった。

日本では瞬間でも経験したことのない土砂降りが、
延々と続くので、僕もある程度いったところで、あきらめて
現地の人達が10人くらい既にいた小屋みたいなところで雨宿りした。
(これも写真有り。)

既に3時くらいになっていて、とてつもない大雨がつづき、
ホテルまではまだ100km以上ありそうで、
かつ山道。街灯もないし、標高のせいか、バリでも寒くなってきた。
しかもずぶ濡れ。

背負っているザックもかなりぬれているが、
ユニクロのコンパクトな防水ヤッケのようなもの持ってたので
それを前面全開で背中だけは守るようにかけることで、
なんとか電子機器類が壊れるギリギリのしめりぐあいになっていて、
まだ、だめになったとは限らないくらいの状態。

心配していてもしょうがないので、雨宿り仲間と話を始めた。
言葉も通じないのに。。(FBのさっきのリンクにそれも写真があります。)

愛嬌のよい、10歳くらいの少年が少しだけ、何故かコミュニケーションとれて、
彼がいうには、毎日のようにこんな雨が降り、3時間ふる、そしてやむ。
というのだけど、にわかには信じがたい、集中豪雨だったし、
そもそも3時間待っていたら、もうこの状況で暗くなって、
どうにもならなくなる。

どこくらい休んだろう。おそらく40分くらい、そして豪雨の中、
走りを再開した。現地の人達は呆れてみていた。

そこからは、僕のバイク経験の中でも、おそらく一番厳しい経験だった。
日本で東北自動車道を台風の中走ったことあるが、
100km以上で台風の中を走るより、
このバリ島の豪雨の中の雨つぶが当たる方が痛いのだ。

一粒一粒がハチに刺された最初のようにちくりといたむ。

道路は川のように水が流れている。

ホテルまでたどり着けそうになかった。

そもそも、借りているバイクは、メーターも最初から動いてないから、
速度も距離もわからない。

たまらない心細さだった。

道も荒れているし、分かれ道もある。

でも人間というのは必死になると、
特殊な勘が働き出すようで、
何とかなってきた。

いつの間にか、下り坂になってきた。
峠を越したらしい。

段々畑やら、なんとものどかな景色もみえてきた。

雨も少し和らいできた。

と思ったら、また強くなってきた。

そんなことを繰り返しながら、標高が下がってくるのに
ともなって、いくらか暖かくなってきたような気もする。

そして、結局、あの少年のいったとおり、3時間後に雨はやんだのだ。

市街地にはいってきて、交通量もふえてきて、
僕はクタビーチのとなりのレギャンビーチにホテルがあるのだけど、
交通標識は、空港でも有名なデンパサールをひたすらめざしてきた。

それがデンパサールに近づいて、目標値設定を
変えなくてはいけなくなったらしい。

まともな地図もないし、道がまたわからない。

喫茶店のようなファーストフードのような店に
入って、女の子に道をきくと困惑している。

でも、おそらく10代後半から20代後半くらいの
女性店員が10人くらいいて、
このずぶ濡れで、ボロバイクの歳とった外人が
一生懸命質問していることに興味を持ってもらえたらしく、

中で少し英語を話せるこが、ある程度説明してくれた。

道は入り組んで、いるので、彼女がおおよそ示してくれた
方角を目指して、いくつもの道を勘で曲がり続けた。

そのうちに、標識にクタがでてきたので、それを目指した。

そうこうするうちに、信号待ちや渋滞で、止まった時に
となりのバイク乗りに、一生懸命きくと、結構親切に
教えてくれることに気がついた。

それを頼りに、なんとかクタに近づいてきた。

そこからもいろきろあったのだが、
交通量がさらに多くなり、
バリでも一番の繁華街が近づくと、
一方通行だらけで、ホテルの近くまで来てから
あたりを遠回りにぐるぐる回り続けた。

途中で疲れて、SkyGardenの前で休んだ。
バリで一番人気のあるクラブだかディスコのようなものだ。

この店の前が一番ひったくり犯罪も起きると聞いていた。

店に入れば、日本人は、スリやポン引きにも引っかかりるとも聞いていた。

ずぶ濡れの、ボロボロの僕に、そんなことをする奴は全くいない。

でも見ていると、日本人が狙われるのは想像がついた。
たまたま、金のある国から来ているというだけで、
平和ボケした顔で、現地の人の月収分くらいは
簡単に使って、スマホで自撮りして喜んでいる。

現地の多少でも不良性や自発性を持った人なら、
こんなやつらから強引に金を奪って何が悪いんだと
思っても全然不思議はない。

スカイガーデンの前には、僕が若い頃だったら
よだれの出そうな、セクシーな女性が、
それをさらに極限まで強調するような
現在風ボディコンシャスファッションで、
看板の横で、入店を誘っていたけど、

ずぶ濡れの僕には、目を合わさないようにしているみたいだった。

さて、もうそこは、さっきまで見てきた、素朴で、
温かいバリ島とは全くの別世界で、多くの
観光客はこのへんで時間を使っているらしい。

なんとかホテルに戻り、
着替えて、真っ先に行きたい場所があった。

バリ島のおふくろの味のレストランだ。
(FBのさっきのリンクにそれも写真があります。)

すぐにそこの店にいく。
でも看板もでてなくて、店の前をウロウロと何度も
通り過ぎてしまう。

でも誰に聞いても、喜んでその店の場所を教えてくれるという
愛されている店だ。

その店で食べながら、店員の女の子と話すと、
(英語も話せないこと共通語のないのにコミュニケーションしているこの不思議)

今日雨が降る前に通り過ぎた、バリ島の北海岸沿いでは一番大きな町の
出身だとわかった。

彼女は暇になると、全身から退屈なオーラをだしながら、街を眺めていた。

ママは、ジャワ島の出身で、バリ島の庶民はジャワ島行く時は
今日僕がみてきたフェリーで渡るそうだ。

それが一番安いんだろう。

たった5時間前に、豪雨の中、まともに前も見れずに、
異国の山の中、不安なままバイクで走っていたのが
もう嘘のようだった。

その日は、泥のように眠った。

愛しきツーリングの日だった。
僕はバリ島の残りの半周を自分の人生で走ることはあるのだろうか?
自分の意志次第なのにそれが僕にはわからないのだった。

今日走った距離はおそらく400km位のハズ。

バイクで走ると、全てのことが、鮮明で新鮮で、心に強く感じられて
一生心に残る。ずっと危険だからと封印していた自分がバカみたいだった。






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